山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■75歳のエチュード。ウクライナ戦争なんて知らないよ。《私は、プーチンの味方です。》

■75歳のエチュードウクライナ戦争なんて知らないよ。《私は、プーチンの味方です。》

テレビや新聞などを覗くと 、ウクライナ戦争一色だが、私は、ほとんど興味がない。勝手に戦争でもやってろ、と思う。私は、昔から、ロシア文学やロシア思想やロシア政治史・・・が好きだ。プーチンも嫌いではない。だから、ウクライナ戦争論議が始まると「不愉快」になり、思考が集中出来なくなるので、テレビを消す。私は、今日、『月刊日本』に連載中の『江藤淳とその時代』の連載原稿を書き終え、お昼頃、『月刊日本』編集部へ、やっと送信したところである。私は 、ここ一週間ばかり、江藤淳の『夏目漱石』論や『小林秀雄』論のことばかり考えてきた。ウクライナ戦争もウクライナ戦争論議も、所詮、オヤジたちの居酒屋漫談か、梅干しババーたちの井戸端会議以下の下世話な雑談にすぎないと思う。私は「下世話な雑談」が嫌いではないが、今は、そんなことを考える余裕はない。そんなことは、何もすることも、考えることもない「馬鹿学者ども」にまかせておけ・・・。私は、テレビも新聞も、見ないし、読みもしないが、テレビだけは、時計がわりにつけっぱなしにしている。朝だか夜だかわからなくなると困るからだ。私は、騒音や雑音が嫌いではない。テレビの雑音や馬鹿話に包まれながら、たとえば《江藤淳とは何者か》とか《水戸学とは何か》とか考えるのが好きだ。かえって集中できるのだ。ちょっと余裕ができたので、今週末あたりには、《私、プーチンの味方です》とか、《プーチンは永久に不滅です》とかいうYouTube動画でも、撮ろうかと思っている。

■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ(4),。

平野謙の「江藤淳論(推薦の弁)」は 、単なる単行本の社交辞令的な推薦文というよりは、江藤淳論、あるいは江藤淳研究としても、ごく短いものだが、批評的には、最高の水準に達するものだと言っていい。たとえば、江藤淳の文学的本質に迫った江藤淳論としては、吉本隆明柄谷行人、秋山駿等のものがあるが、平野謙の「江藤淳論(推薦の弁)」は、それらに匹敵すると思う。作家や批評家は、他の作家や批評家を論ずる時に、褒めるにしろ批判し、ケナスするにしろ、自分自身の批評的思考力を、さらけ出すものである。私は、江藤淳を批判したり、否定したり、罵倒するような文章に遭遇する場合が少なくないが、私は、逆にそういう文章に興味がある。そういう文章に接する度に、私は、何かが違う、コイツは何も分かっていないな、と思う。最近、私は、平山周吉の『江藤淳は蘇る』刊行を記念したらしい平山周吉と竹内洋(京大教授)の対談を読んで、それを思い出した。竹内洋(京大教授)は、若い時から、江藤淳を読んでいたが、一貫して「江藤淳嫌い」だったと公言している。ぞの「江藤淳嫌い」の根拠として、松原新一の『江藤淳論』や山田宗睦の『危険な思想家』を例に出している。あたかも、松原新一や山田宗睦の「江藤淳批判」が正しかったとで言うように。実は、私も、松原新一や山田宗睦の著書はよく知っているが、どう贔屓目に見ても、まともに読めるようなシロモノではなかった。江藤淳批判としても底レベルのシロモノであった。言い換えれば、そういう底レベルの江藤淳論に共感・感動する竹内洋自身に、「文学的感受性」が欠如していたことを示している。わずか一冊のデビュー作で、江藤淳の文学的才能と批評的感受性、批評的思考力を見抜いた平野謙とは大違いである。

■『江藤淳とその時代』~『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ(5)。

江藤淳の『夏目漱石』論と『小林秀雄』論の間に、『作家は行動する』という文体論があるが、江藤淳はそこで、小林秀雄の文章を、「負の文体」と批判している。つまり、この時点では、小林秀雄を否定的に評価しいている。しかし、『小林秀雄』論では、小林秀雄を、全面的に擁護する。このことから、一部で、江藤淳の「転向」や「変節」が指摘され、批判されることになるが、しかし、「転向」や「変節」と言うのは大袈裟である。おそらく、「小林秀雄嫌い」の左派系の文学者たちの何人かが、小林秀雄擁護論に転じたと言って批判したいのだろう。多分、新進気鋭の文芸評論家として出発したばかり江藤淳としては、文芸評論家としての大先輩であり、巨大な権威者である「小林秀雄」という存在を、一度は批判してみたかったのであろう。問題はそんなところにはない。問題は、江藤淳の批評の方法であり、批評的思考力であり、批評的分析力である。私は、江藤淳の批評の方法や批評的思考力を、敢えて、「存在論的批評」と呼ぶ。特に江藤淳の批評的思考力を、「存在論的思考力」と呼ぶ。江藤淳は、この点において、他のいかなる批評家とも違う。江藤淳を理解できない人は、この「存在論的批評」、ないしは「存在論的思考力」を理解できない人である。意外に、そこを理解できない人が多い。

■『江藤淳とその時代』~『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ(3)。 わずか22,3歳の大学生だった江藤淳が「三田文学」に発表したデビュー作『夏目漱石』論は、文芸評論、作家論、作品論としては、異例の衝撃をもって文壇に登場した。文芸評論が、大きな話題になることは珍しい。ましてや『夏目漱石』論である。ありふれたテーマであって、余程のことがない限り、世間の耳目を集めることは難しい。何故、江藤淳の『夏目漱石』論は、文壇の話題になったのか。話題になっただけではなく、そのまま、新人批評家=江藤淳は、時代の風雲児となり

■『江藤淳とその時代』~『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ(3)。

わずか22,3歳の大学生だった江藤淳が「三田文学」に発表したデビュー作『夏目漱石』論は、文芸評論、作家論、作品論としては、異例の衝撃をもって文壇に登場した。文芸評論が、大きな話題になることは珍しい。ましてや『夏目漱石』論である。ありふれたテーマであって、余程のことがない限り、世間の耳目を集めることは難しい。何故、江藤淳の『夏目漱石』論は、文壇の話題になったのか。話題になっただけではなく、そのまま、新人批評家=江藤淳は、時代の風雲児となり、一斉を風靡することになる。この問題は、江藤淳を論じる上で、避けて通れない重要問題である。江藤淳は、『夏目漱石』を論じるうえで 、何か新しい思想や新しい方法を、文芸評論の世界に持ち込んだのだろうか。おそらくそうではない。江藤淳が持ち込んだのは、もっと素朴な、誰でもが持っている「批評的感受性」とでも呼ぶべきものだった。私は、ここで、平野謙という、当時の文壇で大きな存在だった文芸評論家の「江藤淳評」(正確には「初版への序」)を思い出す。平野謙という文芸評論家は不思議な人だった。大江健三郎を、最初に見出したのも平野謙だった。その平野謙が、江藤淳の『夏目漱石』論の書籍化にあたって、推薦文を依頼されて書いた最初の「江藤淳論」が「初版への序」である。正直に言うと、私は、この平野謙の「初版への序」という推薦文に深く感動した。
《しかし、手探りで書きだした私の漱石論は難航に難航をかさね、ついに新年号には完成できずに、二月号にまで分載とあいなった。そのあいまに、私はやはり二号にわたって分載された江藤さんの漱石論をぬすみよむような恰好で読了した。よんで私は厭世的になった。まだ筆者が在学中の青年かどうかは知らず、わかわかしい青年の手になった漱石論であることは、一目瞭然であった。しかし、気鋭の青年の手になった漱石論であることによって、私は厭世的になったのではない。その尖鋭な論の独創的なことに、私は厭世的にならざるを得なったのだ。エライ青年が出てきたもんだ、と私は感嘆した。私はあんまりシャクだったので、「よさそうに思ったけど、よんでみたら大したことないね。こりゃ中村光夫エピゴーネンですよ」というようなすてゼリフとともに、「三田文学」を編集長にかえしたことをおぼえている。》(平野謙「初版への序」)

驚くべき正直な「感想」である。この平野謙の、あまりにも正直すぎる「推薦文」とともに、江藤淳は文壇に登場してきたのである。すでに、文壇の一郭で、それなりの地位を築いている批評家が書いた文章とは思えないような素直な「感想文」であり「推薦文」である。私は、江藤淳の『夏目漱石』論の本文よりも 、この平野謙の「馬鹿正直」と言ってもいい「推薦文」に感動した。

■「ウクライナ戦争」なんて知らないよ。ウクライナ戦争なんて、知恵遅れの「馬鹿学者ども」(笑)にまかせておけ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ YouTube動画「山崎行太郎と内山卓也の《反論壇時評チャンネル》」を緊急配信しました。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 山崎行太郎公式(サブ)チャンネル ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/vPFB5cfZyFI https://youtu.be/vPFB5cfZyFI https://youtu.be/vPFB5cfZyFI ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論からも『小林秀雄』論へ(2)~ 繰り返すが 、私は 、江藤淳の初期作品の中では、『夏目漱石』論より 『小林秀雄』論から大きな影響を受けた。私が 、「現代日本文学」というものに目覚めたとき 、江藤淳はすでに『夏目漱石』論 だけではなく、『小林秀雄』論をも書き上げて、アメリカに留学 、途中からプリンストン大学の教師として採用され、アメリカに滞在中であった。私は 、当時、江藤淳のアメリカ留学の前後の事情については、詳しくは知らなかったが、上野千鶴子や加藤典洋らのよう

■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論からも『小林秀雄』論へ(2)~

繰り返すが 、私は 、江藤淳の初期作品の中では、『夏目漱石』論より 『小林秀雄』論から大きな影響を受けた。私が 、「現代日本文学」というものに目覚めたとき 、江藤淳はすでに『夏目漱石』論 だけではなく、『小林秀雄』論をも書き上げて、アメリカに留学 、途中からプリンストン大学の教師として採用され、アメリカに滞在中であった。私は 、当時、江藤淳アメリカ留学の前後の事情については、詳しくは知らなかったが、上野千鶴子加藤典洋らのように、江藤淳の「アメリカ留学体験」を過大評価する気にはあらない。要するに 「アメリカ留学体験」を経て 、「保守」に 、つまり「反米保守派」に転向したなどというわかりやすい説明を鵜呑みにする気にはなれない。そういう、分かりやすい「転向論」より、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ、あるいはアメリカ留学前からアメリカ留学後まで、一貫している江藤淳の批評的思考力の純粋性と過激性に興味がある。要するに 、江藤淳が転向したとか変節したとかいう話は 、そういう下世話な話に興味のある人たちにとっては 重大問題だろうが 、すくなくとも 、私にとっては、そんなことは 、 それほど重大問題ではない。では、なにが重大問題なのか。私は、江藤淳がデビュー作『夏目漱石』論できりひらいた「存在論的批評」こそが重大問題である、と思う。その「存在論的批評」は、『夏目漱石』論から『小林秀雄』論までいっかんしている。江藤淳は、デビュー作『夏目漱石』論で、倫理的批評に対して存在論的批評を対置したが、その姿勢は、『小林秀雄』論でもま変わらない。『小林秀雄』論で、こう書いている。
小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではあい。彼以前には自覚的批評家はいなかった。「自覚的」
というのは、批評といj行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である。》(『小林秀雄』)