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今年から 、『月刊日本』で、『 江藤淳とその時代』の連載を 開始します。何年かかるかわかりませんが、1000枚ぐらいの大長編評論に仕上げて行こうと思います。昨年は、ちょっとした「江藤淳ブーム」(?)のようなものが起きました。江藤淳の著作が何冊か文庫化され、また、江藤淳論や評伝や特集合等も出版されました。各所でシンポジュウムのようなものも開かれたようですが、私から見ると、「不完全なもの」ばかりで 、「欲求不満」の残るものばかりでした。要するに、昨年の「ミニ江藤淳ブーム」(笑)は、江藤淳を再評価しているように見えて、江藤淳を矮小化し、江藤淳を小物扱いし、過小評価するものばかりでした。つまり、江藤淳の思考の「恐ろしさ」や「深さ」と無縁な連中が、理解も出来ないままに 、江藤淳という「巨像」を、「子像(小僧)」扱いし、幼児玩具に戯れる幼児のように、無邪気に戯れただけの代物でした。しかし、それは 、それで仕方ないことだ。江藤淳が、粗末な雑巾扱いされることを黙って見ている「お前」こそ、何者なのだ、という声が聞こえてくる。そんなに、疑問と怒りと絶望感を感じるなら 、お前が、お前の「江藤淳」を書けばいいではないか、と。他人の書くものなどどうでもいいではないか、と。私は、江藤淳に、「山崎君、行こう」と、声をかけられたことがあった。そして、その日は、帝国ホテル地下の寿司屋に行き、ご馳走になった。「三田文学」の懇親会でのことだった。それまで、ほとんど出席していなかった「三田文学」の懇親会に、江藤淳が珍しく出席しており、上機嫌の日だった。実は、江藤淳は、その年 、慶應の教授に迎えられており、精神的にも、かなり高揚していた。私が、江藤淳と話が出来るようになったのは、その時以来である。
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