山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 090-6007-0726。 yama31517@yahoo.co.jp

■『江藤淳とその時代』〜『夏目漱石』論から『小林秀雄』論へ(4),。

平野謙の「江藤淳論(推薦の弁)」は 、単なる単行本の社交辞令的な推薦文というよりは、江藤淳論、あるいは江藤淳研究としても、ごく短いものだが、批評的には、最高の水準に達するものだと言っていい。たとえば、江藤淳の文学的本質に迫った江藤淳論としては、吉本隆明柄谷行人、秋山駿等のものがあるが、平野謙の「江藤淳論(推薦の弁)」は、それらに匹敵すると思う。作家や批評家は、他の作家や批評家を論ずる時に、褒めるにしろ批判し、ケナスするにしろ、自分自身の批評的思考力を、さらけ出すものである。私は、江藤淳を批判したり、否定したり、罵倒するような文章に遭遇する場合が少なくないが、私は、逆にそういう文章に興味がある。そういう文章に接する度に、私は、何かが違う、コイツは何も分かっていないな、と思う。最近、私は、平山周吉の『江藤淳は蘇る』刊行を記念したらしい平山周吉と竹内洋(京大教授)の対談を読んで、それを思い出した。竹内洋(京大教授)は、若い時から、江藤淳を読んでいたが、一貫して「江藤淳嫌い」だったと公言している。ぞの「江藤淳嫌い」の根拠として、松原新一の『江藤淳論』や山田宗睦の『危険な思想家』を例に出している。あたかも、松原新一や山田宗睦の「江藤淳批判」が正しかったとで言うように。実は、私も、松原新一や山田宗睦の著書はよく知っているが、どう贔屓目に見ても、まともに読めるようなシロモノではなかった。江藤淳批判としても底レベルのシロモノであった。言い換えれば、そういう底レベルの江藤淳論に共感・感動する竹内洋自身に、「文学的感受性」が欠如していたことを示している。わずか一冊のデビュー作で、江藤淳の文学的才能と批評的感受性、批評的思考力を見抜いた平野謙とは大違いである。