山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■テロ 、テロリズム、テロリストについて。 山上徹也が、選挙応援演説中の安倍元首相を、手製の銃で、銃殺した、いわゆる『安倍元首相銃殺事件』は、現場で血が飛び散るわけでも、身体が激しく仰け反るわけでもなく、私には、事件を知った当初は、あまりリアリティのない事件だった。安倍晋三には、銃殺事件が似合わない、と私は思った。だから、銃殺事件の現場映像を、何回見ても、頭では分かっていたが、まったくリアリティは感じられなかった。むしろ 、私に衝撃的だったのは、その後の社会的反応だった。『 テロは民主主義への挑戦だ』『

■テロ 、テロリズム、テロリストについて。

山上徹也が、選挙応援演説中の安倍元首相を、手製の銃で、銃殺した、いわゆる『安倍元首相銃殺事件』は、現場で血が飛び散るわけでも、身体が激しく仰け反るわけでもなく、私には、事件を知った当初は、あまりリアリティのない事件だった。安倍晋三には、銃殺事件が似合わない、と私は思った。だから、銃殺事件の現場映像を、何回見ても、頭では分かっていたが、まったくリアリティは感じられなかった。むしろ 、私に衝撃的だったのは、その後の社会的反応だった。『 テロは民主主義への挑戦だ』『 暴力に屈するな』・・・という紋切り型の、小市民主義的な、常識的な、健全な社会的発言が溢れかえったが、『 ちょっと待てよ』と私は思った。その日の夕方、『安倍死亡』のニュースを聞いて、初めて、実感が湧いてきた。そして同時に、銃砲の引金を平然とひいた山上徹也という男に、私は興味を持った。 私は、元来、テロやテロリズムやテロリスト が嫌いではない。『 嫌いではない』というより、《 大好き》である。ロシア革命前夜のテロリスト、ボリス・サビンコフ、別名ロープシン。ロープシンの『 蒼ざめた馬』を知っている人が、どれくらい、いるだろうか。私の学生時代は、知らない人は稀だったはずだ。私は大嫌いだったが、大衆通俗作家=五木寛之の小説に『 蒼ざめた馬を見よ』があった。私は読んだことはない。そういえば 、五木寛之は早稲田露文卒だった。私は、一時期、早稲田の露文科に憧れていた。露文科があるのは早稲田だけだったからだ。私は、そこで、ドストエフスキーを勉強したかったが、しかし、適当な先生(教授)がいなかった。いずれにしろ、私は、ロシア文学にもロシア研究にもロシア革命にも、大変、興味を持っていた。さて、通俗作家=五木寛之さえも知っているロープシンの『 蒼ざめた馬』。それは、ドストエフスキーの『 罪と罰』と同様に、一種のテロリスト小説だった。私は、『維新と興亜』という右翼民族派の若者たちが編集=発行する思想雑誌に、『藤田東湖西郷南洲』を連載しているが、そこで、私が、もっとも書きたいと思っているテーマは、「尊皇攘夷」の思想でも「敬天愛人」の思想でもない。「テロ」「テロリズム」「テロリスト」のことである。水戸学派の思想家=藤田東湖と、薩摩藩の革命家=西郷南洲に共通するものは 、「テロ」「テロリズム」「テロリスト」の精神である、と私は思っている。何故、『藤田東湖西郷南洲』は、最初の出会いの瞬間に「意気投合」し 、「肝胆相照らす」仲になったのか。私の独断によれば、その理由は、お互いの思想や言葉のなかに、「死の匂い 」と「 血の匂い」を 、つまり「テロの匂い」をかぎとったからである。それを象徴する事件が、水戸藩の有志と薩摩藩の有志たちの共同作戦のもとに実行された『桜田門外の変』であった。私は、この《 テロ事件》が好きである。だから、私は、安倍元首相を銃殺した「山上徹也」から、すぐに、井伊直弼を刺殺した「有村治左衛門」を連想したのだった。「有村次左衛門 」と「 山上徹也」。ところで、話は変わるが、山上徹也をモデルにした映画が、足立正生の手で撮影されたと言う。足立正生という映画監督も懐かしい名前だ。私は、『 映画への戦略』とかいうタイトルの足立正生の本を持っていた。今、何処に行ったのか、行方不明で見つからないが・・・。足立正生と言うと、赤バス隊の『 世界戦争宣言』とかいう映画を撮影したのも足立正生ではなかったか。私は、その映画を、偶然、浦和駅前の神社の境内で見た。私は、その頃、浦和県立図書館に入り浸っていた。息抜きに外へ出てみると、近くにある神社の境内に小さなテントがあり、何やら怪しい映画のようなものを、上映しているらしかった。「赤軍 」とか「PFLP」とかいう文字にひかれて、私もテントの中に潜り込んで、その怪しい映画を見た。正式なタイトルは、『 赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言 』(1971年)だった。私は、その単純素朴で、荒々しい映画に感動した。テロリスト山口乙矢をモデルにした大江健三郎の小説『 セヴンティーン』を読んだ時の感動に近い感動だった。その映画は、赤軍兵士を募集する映画でもあったらしい。その直後、起きた《 テルアビブ・ロッド空港乱射事件》で、唯一生き残った「 岡本公三」も、その時、応募した兵士だったらしい。ところで、奥平剛士や岡本公三等が引き起こした《 テロ事件 》は、私の心に強烈な印象を刻印している。いずれにしろ、私の文学と思想と哲学は、《 テロリズム》や《 テロ事件 》とともにあったような気がする。