⬛️犯罪は《時代》を映す鏡である。
31歳の孤独な青年が、四人を刺殺・銃殺した長野県中野市というところで おこった《 立てこもり事件 》は、不謹慎を承知の上で、敢えて言わせてもらうならば、とても面白かった。誰もいってないようだが、私は、ドストエフスキーの『罪と罰』を連想しながら、テレビ画面を見つめていた。もちろん、事件の細部は大きく異なっているが、ドストエフスキーの『罪と罰』も、二人の老婆を撲殺するところから始まっている。さらに事件の主人公が、《大学中退 》で 、《引きこもり 》がちな内向的な青年というところも、よく似ている。今回の事件報道で、一番、頭に来たのは、『犯罪心理学者』と称する大学教授が、見当違いのことを、いかにもなんでもかんでも、知っているかのように、馬鹿ズラをさらしながら、早口でペラペラ喋っているところだった。私は、昔、若いころ、静岡県の寸又峡の温泉旅館で起きた『金嬉老事件』の後で、福田恒存が書いた芝居『わかってたまるか』を思い出した。芝居の中身は、よく知らないが、タイトルだけは、頭にこびりついている。事件の真相が、まだ、何もわかっていない段階で、ペラペラ喋りまくる《犯罪心理学者 》に向かって、私は、《 大学教授 》だかなんだか知らないが、お前のようなウスラ馬鹿に、《わかってたまるか ! 》と、叫びたくなった。というのは冗談だが、ドストエフスキーの『罪と罰』には、次のような印象的な文章がある。《俺にはアレが出来るだろうか! 》という文章である。。《俺にはアレが出来るだろうか! 》の《アレ 》とは何か。もちろん、《アレ》とは老婆殺しではない。ドストエフスキー研究家・清水正によれば、アレとは 《皇帝殺し》を意味していた。「罪と罰」のテーマは、《皇帝殺し》であり、革命的テロリスト小説であった。長野県中野市の《引きこもり事件 》に戻る。犯人は、二人の老婆を殺した後で、躊躇することなく二人の警察官を、ライフル銃で銃殺している。私は、警察官を銃殺したことにこだわる。ここに、犯人の権力への怒りと憎悪を感じる。《 老婆殺し 》から《 警察官殺し》へ。ここには、《安倍銃殺事件 》の実行犯・山上徹也に触発され、誘発された一連のテロ事件の連鎖を感じる。《炭鉱のカナリア》という言葉がある。炭鉱のカナリアは、地下の空気中の酸素の変化に敏感に反応する。それと同じように、病者や精神的弱者や異常者も、時代の空気の変化に敏感に反応する。犯罪者やテロリストの行動を軽視してはならない。彼等こそが時代の先行者であり、炭鉱のカナリアなのだ。