■岩田温氏との『江藤淳』をめぐる対話。
『月刊日本』の企画で、岩田温氏と、『江藤淳』についての連載対談(対話)をすることになったが、その一回目を、昨日、都内某所でおこなった。『月刊日本』の新春号(2月号)に掲載予定だ。一年後ぐらに書籍化することになっているが、すべては、岩田氏や『月刊日本』編集長の中村友也氏等にまかせているから、というより、彼等が若さにまかせて、強引にやってくれるようだから、私のような老骨の出るまくはなく、もちろん私が心配する必要もない。来年の今頃は、一冊の『対話篇』が、論壇や出版ジャーナリズムを、論争や誹謗中傷、阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいるかもしれない 、などというのが、私の今年の、いささか出来すぎた《初夢》だった、と書くと、老人ボケもいい加減にしろ、と言われそうなので、ここらで、やめておく。いづれにしろ、《ポスト・モダン以後》、あるいは《ネットウヨ以後》を、思想的に切断し、次の時代の思想を先導するような対話篇でありたいと思っている。さて、私は、今、ギリシャ哲学のなかのプラトンの『対話篇』に凝っている。特に、『ソクラテスの弁明』を、最近、読んで目覚めた。ああ、なるほど、そうだったのか、と今頃になって、妙に納得してしまったというわけである。私は、大学で哲学を専攻したから、ひととおりギリシャ哲学についても基礎的な教養はあるつもりだったが 、プラトンの『対話篇』や、特に『ソクラテスの弁明』について、これまで格別に深い関心を持ったことはなかった。ギリシャ哲学というと、京都大学の田中美知太郎教授を連想するのが常識だろうが、もちろん哲学者、思想家としての田中美知太郎の業績や人間性を尊敬・畏怖しているのだが、田中美知太郎訳で読んだ『ソクラテスの弁明』には、何故だか、感動しなかった。私は、《感動しないもの》には食指を伸ばさないことをモットーにして生きて来たつもりだから、ソクラテスやプラトンに興味をもちながらも、深い関心を寄せることがなかったのも当然だった。当時は、ソクラテスやプラトンの話も、うわの空で聴いていたのだろう。私は、高校生の時 、これを勉強したい、これなら一生を棒に振っても、勉強し、研究しようと思ったものを見つけたので、受験勉強のための勉強や努力は、あるいは学者という職業のための勉強や努力は、最低限のレベルにとどめ、必要以上にはやらないで、程々にしよう、という習癖が身についている。というわけで、私は、好きだった哲学も文学も、わざわざそのために大学の文学部に進学したにもかかわらず、時がたてば別の方に関心が移り、見るのも聞くのも嫌になることがあった。たとえば、高校生の頃、大江健三郎を知り、その余波で、フランスの実存主義哲学者であり作家でもあったジャン・ポール・サルトルを知った。いっぱしのサルトルかぶれに哲学青年兼文学青年になっていた。しかし、大学入学後、そのサルトルの実存主義哲学の体系が、たとえば即自存在とか対自存在とかが、自分なりにわかってしまうと、それが錯覚であれ、なんであれ、読み続ける気力が失せていった。その頃、私の関心を引き付けて話さなかったのは、欧米の文学や哲学ではなく、日本の文芸評論家である小林秀雄や江藤淳だった。私は、大学の哲学科で、デカルトやベルグソンを学んだが、それらは、ほとんど小林秀雄を読むことで学び取ったレベルのデカルトやベルグソンだった。つまり、私は、小林秀雄や江藤淳を読むことで、《哲学を研究する》ことではなく、自分で《哲学する》ことを学んだということができるかもしれない。小林秀雄や江藤淳の《批評》には、その文章の行間に、強烈な《大学批判》や《学問批判》、《学者批判》が含まれれいる。大学や学者には、学問がない、思想がない、思考がない、ということである。これは、分かる人にしか分からない根源的な秘密というか秘伝というか、密教のようなものだろう。ところで、岩田温氏も、若くして大学教員の職につきながら、それをやめて、文筆業やユーチューバーに専念しようとしている。これは重要だ。今どき、こういうことを実践・実行する人は、岩田温以外にいない。たとえ偏差値最低の無名大学であろうと、東大や京大だろうと、教授とか准教授とかいう肩書きを、必死にしがみつく肩書き乞食はいても、安易に、それを捨て去る勇気のある人はいない。何故なら、そいう肩書きが、世渡りのうえで、有効な武器になることは、自明の理だからだ。ということは、つまり、学問や思想そのものより、肩書きや地位・身分が大事だということだろう。学問、思想、文学が衰退するのも当然だろう。しかし、岩田氏は、あっさりと、その肩書きや身分を捨てて、場末の《ヤクザ稼業》に過ぎないと思われている《物書き》や《ユーチューバー》に転じている。何回も言うが、ここには、重大な思想的意味がある。《国民の学歴が第一》と言いながら、《学歴より学問が第一》《肩書きより思想が第一》。文学や思想がダメになったのは、みんな《大学教授》という肩書きにしがみつき、《学問》や《思想》や《文学》を忘れてしまったからだ。これは、右翼も左翼も、ネットウヨもパヨクも関係ない。私が、岩田温氏を評価する根拠は、そこにある。《岩田温はダダモノではない》と、私が思ったのは、岩田氏が早稲田大学政経学部の学生で、まだ二十歳ぐらいの頃だったが、その根拠は、そういうところにあった。岩田氏と私は、年齢も思想信条も、趣味も、政治的立場も、出身大学も、大幅に異なる。せいぜい一致するのは女の趣味ぐらいか(笑)。にもかかわらず、現在まで、飽きずに付きあって来た。岩田氏の勉強会や飲み会に参加したこともあるし、マルクス『 資本論』を、音読しながら、読んだこともある。私の鹿児島の山小屋『 毒蛇山荘』で、合宿したこともあるし、鹿児島西南塾主催で、『 岩田温講演会』を開催したこともある。今回の対談もその一つになるだろう。