●大江健三郎と藤岡信勝
藤岡信勝は、いつ頃からか知らないが 、 《保守の重鎮》なのだそうだ。ヘソがコーヒーでも沸かしそうだが、どうもその噂は真実らしい。そもそも私は、《保守》という言葉が嫌いだ。昔、《保守》という言葉が、蛇蝎の如く嫌われていた頃は
、敢えて《保守反動》を自称していたものだが、最近は、《保守》というと、《馬鹿》の別名だろうぐらいの印象しかない。馬鹿もキチガイも、ようするに猫も杓子も、ジーさんもバーさんも、ミーちゃんもハーちゃんも 、《保守だ》《保守だ》《俺こそは真性保守だー》と言い出した頃から、私は、冗談半分に、《左翼過激派》、あるいは、《左翼暴力集団》のメンバーを自称している。だから 、20年前ぐらいに起きた《沖縄集団自決裁判》とも呼ばれる、いわゆる《大江/岩波裁判》では、左翼の作家・大江健三郎を応援した。その裁判は、大江健三郎側の勝利で終了したのだが、裁判終了直後に、大江健三郎自身が、その裁判の経過を総括した文章が、岩波書店発行の雑誌『世界』に発表されたが、その文章の中に、私の名前と文章が、引用されて出ていた。私は、鹿児島県の某高校生時代に大江健三郎の小説に出会い、強い衝撃を受け、その結果 、文学や思想 、哲学というものを職業にするようになった人間なので、大江健三郎に認められたことが、非常に嬉しかったことを覚えている。その裁判の時、《右翼・保守》側で、《大江健三郎批判》を開始した曽野綾子らとともに、裁判闘争の裏舞台で暗躍し、証拠の捏造や隠蔽を繰り返していたグループの中の重要人物の一人が、藤岡信勝だった。藤岡一派の周辺には、《統一教会》の信者たちがいた。現在、統一教会の幹部になっているらしい鴨野守が、藤岡信勝の取材協力者だった。鴨野守の取材原稿が 、まったくの捏造記事で デタラメであったことが発覚し、裁判は、大江健三郎勝利となったのである。鴨野守を大々的に推薦したのが、藤岡信勝であり、その発表メディアが『月刊WILL』だった。