山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

●哲学者=山崎行太郎の公式ブログです。 ●山崎行太郎 (やまざき、こうたろう) ●作家、哲学者、文藝評論家。 ●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。 ●東工大、埼玉大学、日大芸術学部教員を経て現職。 ●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。 ●著書『 小林秀雄とベルグソン』『マルクスとエンゲルス』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』 ● yama31517@yahoo.co.jp

■ベトナム戦争なんて知らないよ⑵。

ベトナム戦争なんて知らないよ⑵。

清水正も僕も、政治の季節に背を向けて、文学や哲学・・・に、程度の違いや方向性の違いは多少なりともあるとしても、熱中していたことに違いはないと思う。《ベトナム戦争なんて知らないよ》と。《東大闘争も日大闘争も知らないよ》と。《俺は、自分のやりたいことをやるだけで精一杯なんだ》と。それって、意外に難しいことなのだ。若者は、時流や流行に流される。後で後悔してももう遅い。《あの時間》は、もう帰って来ない。学生運動や革命運動に熱中したいなら、それらに死ぬまで熱中しろよ、と思うが、二、三の例外を除いて、そんな奴はいない。どいつもこいつも、泣き言を言いながら 、適当に妥協し、転向や挫折を繰り返した挙句、それを自慢している始末だから、わびしいとい言うより、怒りを覚える。おまけに定年になると、子供や孫の自慢話や、元左翼とか元右翼とか称して、貧乏居酒屋のドシロート以下の政治漫談に花をさかせている。いい加減にしろよ、と言いたくなるが、そんなことを口に出すのも、くだらないことだから、我慢し、無視しよう。さて、清水正だが、彼は、日大芸術学部の学生時代に、日大闘争で学園が荒れていた頃、アルバイトで貯めたお金で 、最初の本『ドストエフスキー体験』を出版している。その後、大学院を経て、日大芸術学部教授に就任。そして現在まで、ドストエフスキー論を、延々と書き続けて、『ドストエフスキー論集全10巻』まで刊行している。もちろん、こんなことが、誰にでも出来るわけではない。彼が学生時代の日大芸術学部は、東大やその他の大学出身のくだらない、やる気のない教授たちが、教授会などを牛耳り、日大出身者は軽視され、冷遇されていた。多くの大学が、今でもそんなもんだろう。しかし清水正は、数々のイジメにあいながら、悪戦苦闘の末、その悪習を打ち破り、教授に就任すると、東大出身の馬鹿教授どもを次々と追い出し(?)、現在は、教授陣も、ほぼ日大出身者で固めている。ほとんどが清水正の弟子たちである。ちなみに、現在、日大副学長の山下聖美教授は、清水正の一番弟子である。僕の写真に、清水正とともに、しばしば登場する女性が、山下聖美さんである。くだらない学歴主義が跋扈し、無能なエセ秀才が、各所に蔓延って、日本文化の成長を阻害しているのが現在の日本の現状だが、清水正は、まさに、そういう悪弊を打ち破って、つまり孤立無援の戦いに打ち勝ち 、清水正の孤高の世界を構築し続けている。清水正ドストエフスキー論、あるいはドストエフスキー研究に匹敵するものは、東大や京都大学にも、また早稲田大学慶應にもない。マスコミやアカデミズムが、無視しようと愚弄しようとそんなものは関係ない。ドストエフスキー研究で、清水正の業績は群を抜いている。ドストエフスキー研究で、清水正の右に出るものはない。

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以下は清水正山川方夫論の連載です。(はてなブログ連載1回目)。
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ベトナム戦争なんて知らないよ⑴

ベトナム戦争なんて知らないよ(1)。

清水正日大芸術学部教授が、私の新刊『小説山川方夫伝』に触発されたらしく、ネットで、『山川方夫論』の連載を始めたらしいという話は聞いていたが、直接、覗いてみることはしなかった。自分の作品がダシに使われ 、自分の書いた文章が論じられるということは、嬉しいことに決まっているのだが、どこかに気恥しいものも感じるからだろう。見てみたいが見るのが怖いというアンビバレントな気分。しかし、今日、何の気なしに、スマホをいじっている時、そのことを思い出し 、覗いてみることにした。清水正さんとは、決して古い付き合いではなく、むしろ新しい付き合いと言った方がいいかもしれない。清水正は、私が学生だった頃から、よくその名前は知っていたが、直接 、話をするようになったのは、随分、後になってからである。私や清水正さんが 、大学生だった頃は、学園紛争やベトナム戦争の全盛期の頃だった。とりわけ、清水正のいた日大は、《東大闘争》とか《日大闘争》とか言われ、東大と並ぶ学園紛争の中心地だった。しかし、多くの学生が デモや学園紛争に夢中になっていた頃、政治や学生運動に背を向けて、ひたすら文学研究に、特にドストエフスキー研究に打ち込んでいたのが清水正だった。《政治の季節》だったにもかかわらず、文学研究や哲学研究に打ち込み、その道に邁進する。それは、私も同様だった。私は、学園紛争にもベトナム戦争にも興味なかった。小田実の《ベ平連》なんて言葉を聞くだけで、嫌だった。その頃、僕が夢中になっていたのは《大江健三郎》だった。

吉本隆明『 マチウ書試論』とは何か(2)。

『マチウ書試論』の主題は、なんなのか。吉本隆明は、何故、貴重な時間を費やしてまで、この『マチウ書試論』を書いたのか。しかも、キリスト教聖典である聖書の中にある「マタイ伝」とはいえ、吉本隆明には、格別の宗教的関心も信仰上の関心もなかった。では、吉本隆明の関心は、何処にあったのか。

《マチウの作者が、ジェジュをあたかも実在の人物であるかのように描き出したという点だけからみれば、マチウ書はいまではほとんど読むにたえない幼稚な、仮構の書であるかも知れないが、ジェジュに象徴されるひとつの、強い思想の意味をとり出してくるとすると、いまでもそれを無視することはできないものである。》

吉本隆明にとって重大な関心は 、ジェジュ(イエス)が実在の人物か架空の人物かというような問題にはなかった。はじめから、架空の人物であることは自明のことだった。問題は、何故、キリスト教という新興宗教の誕生と形成のために、マチウ書のような架空の書が書かれなければならなかったのかという《思想的意味》であった。では、その《思想的意味》とは何か。

《資料の改ざんと附加とに、これほどたくさんの、かくれた天才と、宗教的情熱とを、かけてきたキリスト教の歴史をかんがえると、それだけ大へん暗い感じがする。》

私は、吉本隆明の『マチウ書試論』の主題は、この《暗い感じ》だったと思う。

吉本隆明『 マチウ書試論』とは何か(2)。

『マチウ書試論』の主題は、なんなのか。吉本隆明は、何故、貴重な時間を費やしてまで、この『マチウ書試論』を書いたのか。しかも、キリスト教聖典である聖書の中にある「マタイ伝」とはいえ、吉本隆明には、格別の宗教的関心も信仰上の関心もなかった。では、吉本隆明の関心は、何処にあったのか。

《マチウの作者が、ジェジュをあたかも実在の人物であるかのように描き出したという点だけからみれば、マチウ書はいまではほとんど読むにたえない幼稚な、仮構の書であるかも知れないが、ジェジュに象徴されるひとつの、強い思想の意味をとり出してくるとすると、いまでもそれを無視することはできないものである。》

吉本隆明にとって重大な関心は 、ジェジュ(イエス)が実在の人物か架空の人物かというような問題にはなかった。はじめから、架空の人物であることは自明のことだった。問題は、何故、キリスト教という新興宗教の誕生と形成のために、マチウ書のような架空の書が書かれなければならなかったのかという《思想的意味》であった。では、その《思想的意味》とは何か。

《資料の改ざんと附加とに、これほどたくさんの、かくれた天才と、宗教的情熱とを、かけてきたキリスト教の歴史をかんがえると、それだけ大へん暗い感じがする。》

私は、吉本隆明の『マチウ書試論』の主題は、この《暗い感じ》だったと思う。

大江健三郎と藤岡信勝(7)・・・ 沖縄集団自決問題をめぐる『 大江健三郎/岩波裁判』で、ノーベル賞作家・大江健三郎の言論・創作活動を妨害し、大江健三郎への『 言論弾圧』という『 スラップ訴訟 』を仕掛けたのは、保守派を自称する三流作家・曽野綾子や藤岡信勝であった。その藤岡信勝が、今度は、日本保守党を相手に、『 スラップ訴訟 とは何か』と、得意気に語っている。笑止ではないか。しかも、日本保守党への対抗訴訟をチラつかせている。藤岡信勝一派の弁護士は、統一教会専属の某弁護士(福本修也???)になるのではないか

大江健三郎藤岡信勝(7)・・・

沖縄集団自決問題をめぐる『 大江健三郎/岩波裁判』で、ノーベル賞作家・大江健三郎の言論・創作活動を妨害し、大江健三郎への『 言論弾圧』という『 スラップ訴訟 』を仕掛けたのは、保守派を自称する三流作家・曽野綾子藤岡信勝であった。その藤岡信勝が、今度は、日本保守党を相手に、『 スラップ訴訟 とは何か』と、得意気に語っている。笑止ではないか。しかも、日本保守党への対抗訴訟をチラつかせている。藤岡信勝一派の弁護士は、統一教会専属の某弁護士(福本修也???)になるのではないか。《保守派の重鎮 》を自称する藤岡信勝が、天皇を冒涜する朝鮮人を教祖とする《 統一教会 》や《参政党 》の走狗だというのだから、世も末。まず、藤岡信勝のような売国奴的なボケ老人を葬送することが、日本の保守派や民族派右翼のやることだろう。

大江健三郎と藤岡信勝(6)・・・藤岡信勝のやっていることこそ《 言論弾圧 》

大江健三郎藤岡信勝(6)

藤岡信勝が、『 日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会』を立ち上げ、その会長に就任したそうである。この人は
この手の会長になるのが好きなようである。『 自由主義史観研究会』会長とか『 新しい歴史教科書をつくる会』会長とか。最近は『 南京事件はなかった・・・の会』会長とか。この人は、そもそも、何がしたいのだろうか。私は、この人が、書いた本を一冊も読んでいないが、そもそも、著書というものがあるのだろうか。この人は、学問や研究に専念する人ではなく、市民運動だか、大衆運動だか知らないが、なんらの集団をかき集め、会を組織し、その会長に就任して、叫びたてることが、趣味の人のようだ。《 言論の自由を守れ 》《 民主主義を守れ 》《 平和を守れ 》と叫び。そのまんま『 共産党』じゃないか、と思う。共産党共産主義が嫌いな訳ではないが。というようなことを思っていたら、元共産党員という言葉を思い出した。藤岡信勝も、今は《保守の重鎮 》だそうだが、若い頃は、共産党の熱心な活動家だった。その頃の熱心な活動が認められて、北海道から上京し、共産党人脈を上手く利用して、東大教育学部教授にまで出世したのであった。ところが 、東大教授に就任した途端に、《 転向 》し、見事に《 保守》に寝返り、たちまち保守運動の先頭に立ち、ラッパを吹き鳴らし、今は、《保守の 重鎮 》(笑)。さて、私がこだわるのは、左翼系と思われていたノーベル賞受賞作家の大江健三郎を法廷に引き摺りだし、袋叩きにした《 大江・岩波裁判 》、つまり《沖縄集団自決裁判 》のことである。その頃 、大江健三郎も、もう晩年に差し掛かって、作家としての《総仕上げ 》をしようとしていた矢先だったが、その大江健三郎の文学活動を、三流作家に過ぎない曽野綾子等と共に、まさに《 言論弾圧 》を行ったのが、藤岡信勝だったのである。その藤岡信勝が、《言論弾圧から 被害者を守れ》と、騒いでいるというわけだ。しかも《会長 》だって。大江健三郎は、左翼であろうが リベラルであろうが、《 日本の宝 》である。どう見ても、 日本の歴史と文化、伝統を守っているのは、大江健三郎である。藤岡信勝ではない。何が、『 日本保守党の言論弾圧から被害者を守る会』だよ。藤岡信勝がやってきたこと、そして今、やろうとしていることこそ、《 言論弾圧 》そのものではないか。

■大江健三郎と藤岡信勝(5)

大江健三郎藤岡信勝(5)

曽野綾子に触れようとしたが、曽野が亡くなって 、それほどの時間も経っていない現在、曽野綾子を批判することには 、私の中にも、若干の躊躇いがあるので、ここでは、ひとまず、藤岡信勝の話題に戻ることにする。