■久しぶりに風邪をひいて、寝込んでしまった。寝込むほどではなかったが、後期高齢者にとって風邪は、要注意と聞いていたので、静かに寝るに限る、と思ったのだ。インフルエンザか普通の風邪か、あるいはコロナか、正体が分からず 、大事をとって、普通の市販の風邪薬を飲んだけで、医者にも行かず、ただ静かに寝込んでいたというわけである。その成果もあって、2、3日で 、熱も引き、咳もおさまり、、ほぼ快復したが、後期高齢者とはいえ 、まだ我が肉体の免疫力とやらが、健在なのか と、南九州、薩摩半島の山奥の寒村で育った少年時代を思い出しつつ 、感謝した次第だ。
* ■岩田温氏との『江藤淳』をめぐる対話。
■岩田温氏との『江藤淳』をめぐる対話。
『月刊日本』の企画で、岩田温氏と、『江藤淳』についての連載対談(対話)をすることになったが、その一回目を、昨日、都内某所でおこなった。『月刊日本』の新春号(2月号)に掲載予定だ。一年後ぐらに書籍化することになっているが、すべては、岩田氏や『月刊日本』編集長の中村友也氏等にまかせているから、というより、彼等が若さにまかせて、強引にやってくれるようだから、私のような老骨の出るまくはなく、もちろん私が心配する必要もない。来年の今頃は、一冊の『対話篇』が、論壇や出版ジャーナリズムを、論争や誹謗中傷、阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいるかもしれない 、などというのが、私の今年の、いささか出来すぎた《初夢》だった、と書くと、老人ボケもいい加減にしろ、と言われそうなので、ここらで、やめておく。いづれにしろ、《ポスト・モダン以後》、あるいは《ネットウヨ以後》を、思想的に切断し、次の時代の思想を先導するような対話篇でありたいと思っている。さて、私は、今、ギリシャ哲学のなかのプラトンの『対話篇』に凝っている。特に、『ソクラテスの弁明』を、最近、読んで目覚めた。ああ、なるほど、そうだったのか、と今頃になって、妙に納得してしまったというわけである。私は、大学で哲学を専攻したから、ひととおりギリシャ哲学についても基礎的な教養はあるつもりだったが 、プラトンの『対話篇』や、特に『ソクラテスの弁明』について、これまで格別に深い関心を持ったことはなかった。ギリシャ哲学というと、京都大学の田中美知太郎教授を連想するのが常識だろうが、もちろん哲学者、思想家としての田中美知太郎の業績や人間性を尊敬・畏怖しているのだが、田中美知太郎訳で読んだ『ソクラテスの弁明』には、何故だか、感動しなかった。私は、《感動しないもの》には食指を伸ばさないことをモットーにして生きて来たつもりだから、ソクラテスやプラトンに興味をもちながらも、深い関心を寄せることがなかったのも当然だった。当時は、ソクラテスやプラトンの話も、うわの空で聴いていたのだろう。私は、高校生の時 、これを勉強したい、これなら一生を棒に振っても、勉強し、研究しようと思ったものを見つけたので、受験勉強のための勉強や努力は、あるいは学者という職業のための勉強や努力は、最低限のレベルにとどめ、必要以上にはやらないで、程々にしよう、という習癖が身についている。というわけで、私は、好きだった哲学も文学も、わざわざそのために大学の文学部に進学したにもかかわらず、時がたてば別の方に関心が移り、見るのも聞くのも嫌になることがあった。たとえば、高校生の頃、大江健三郎を知り、その余波で、フランスの実存主義哲学者であり作家でもあったジャン・ポール・サルトルを知った。いっぱしのサルトルかぶれに哲学青年兼文学青年になっていた。しかし、大学入学後、そのサルトルの実存主義哲学の体系が、たとえば即自存在とか対自存在とかが、自分なりにわかってしまうと、それが錯覚であれ、なんであれ、読み続ける気力が失せていった。その頃、私の関心を引き付けて話さなかったのは、欧米の文学や哲学ではなく、日本の文芸評論家である小林秀雄や江藤淳だった。私は、大学の哲学科で、デカルトやベルグソンを学んだが、それらは、ほとんど小林秀雄を読むことで学び取ったレベルのデカルトやベルグソンだった。つまり、私は、小林秀雄や江藤淳を読むことで、《哲学を研究する》ことではなく、自分で《哲学する》ことを学んだということができるかもしれない。小林秀雄や江藤淳の《批評》には、その文章の行間に、強烈な《大学批判》や《学問批判》、《学者批判》が含まれれいる。大学や学者には、学問がない、思想がない、思考がない、ということである。これは、分かる人にしか分からない根源的な秘密というか秘伝というか、密教のようなものだろう。ところで、岩田温氏も、若くして大学教員の職につきながら、それをやめて、文筆業やユーチューバーに専念しようとしている。これは重要だ。今どき、こういうことを実践・実行する人は、岩田温以外にいない。たとえ偏差値最低の無名大学であろうと、東大や京大だろうと、教授とか准教授とかいう肩書きを、必死にしがみつく肩書き乞食はいても、安易に、それを捨て去る勇気のある人はいない。何故なら、そいう肩書きが、世渡りのうえで、有効な武器になることは、自明の理だからだ。ということは、つまり、学問や思想そのものより、肩書きや地位・身分が大事だということだろう。学問、思想、文学が衰退するのも当然だろう。しかし、岩田氏は、あっさりと、その肩書きや身分を捨てて、場末の《ヤクザ稼業》に過ぎないと思われている《物書き》や《ユーチューバー》に転じている。何回も言うが、ここには、重大な思想的意味がある。《国民の学歴が第一》と言いながら、《学歴より学問が第一》《肩書きより思想が第一》。文学や思想がダメになったのは、みんな《大学教授》という肩書きにしがみつき、《学問》や《思想》や《文学》を忘れてしまったからだ。これは、右翼も左翼も、ネットウヨもパヨクも関係ない。私が、岩田温氏を評価する根拠は、そこにある。《岩田温はダダモノではない》と、私が思ったのは、岩田氏が早稲田大学政経学部の学生で、まだ二十歳ぐらいの頃だったが、その根拠は、そういうところにあった。岩田氏と私は、年齢も思想信条も、趣味も、政治的立場も、出身大学も、大幅に異なる。せいぜい一致するのは女の趣味ぐらいか(笑)。にもかかわらず、現在まで、飽きずに付きあって来た。岩田氏の勉強会や飲み会に参加したこともあるし、マルクス『 資本論』を、音読しながら、読んだこともある。私の鹿児島の山小屋『 毒蛇山荘』で、合宿したこともあるし、鹿児島西南塾主催で、『 岩田温講演会』を開催したこともある。今回の対談もその一つになるだろう。
溝口健二監督作品『近松物語』を読む。
正月元旦の日に、暇だったので、YouTube動画でも見ようかと思ってスマホを開いて、適当なYouTube動画を探していたら、珍しく古い映画らしいものが、目についたので、しばらく、若い頃の香川京子のうつるタイトル画面を見ていたら、ちょっと気になったので、出だしだけでも覗いてみようかなと思って見始めたら、ハマってしまって、最後まで見てしまっただけではなく、何回も繰り返して見る羽目になってしまった。溝口健二と言う映画監督の名前だけは以前から知っていたが、黒澤明や小津安二郎なら、それなりに知っているが、溝口健二の場合、代表作にどういう作品があるかなど、詳しいことはまったく知らなかった。私が、YouTube動画で見た溝口健二監督作品の映画は、『近松物語』というもので、近松門左衛門の伝記映画か 、近松門左衛門原作の《心中もの》《駆け落ち》《道行き》の類の物語の映画化だろうと思ったが、伝記ものではなく、やはり、後者の方だった。京都の大きな商家の奥様(香川京子)が、店で働く手代(長谷川一夫)と、ふとした手違いから、《不義密通》を疑われ、《駆け落ち》、逃亡する《道行き》の物語で、最後は逮捕され、市中引き回しの上、極刑に処される・・・。しかし、この単純素朴な不義密通物語が、全編、実にリアリティがあり、一瞬の隙もなく、濃密な時空間を形成している。文字どおり、《釘付け》になってしまった。久しぶりに、映画らしい映画を見たと感じたのだった。これまで、江戸時代の作家・劇作家である近松門左衛門とか井原西鶴には、あまり興味も関心もなかったので、近松門左衛門のどの作品の映画化なのかもわからない。主人公の名前が、《おはん》と《茂兵衛》で、当時としては、かなり知れ渡った有名な《不義密通》事件だったらしいが、私が知らない
だけかもしれない。溝口健二の映画『近松物語』は、近松門左衛門の作品と井原西鶴の作品を、溝口健二の友人の作家・川口松太郎が、独自の世界観で、脚色した小説『おはん茂兵衛』(のちに『近松物語』に改題)を映画化したものらしい。ところで、この『近松物語』を見るきっかけになったのは、以前、江藤淳の『近代以前』を読んで、林羅山と近松門左衛門との対比・比較の論じ方が面白かった記憶があったからだ。江戸幕府の公的秩序を象徴するのが、儒学者・林羅山だとすれば、元々は武士の身でありながら、反社会、反権力であり、下層一般庶民の娯楽でる人形浄瑠璃の座付き作家に身をやつして、下降志向の人物を演じたのが近松門左衛門だった、と江藤淳は論じている。そして、そこに《文学的なもの》の源泉、原点があると言っている。古くは『万葉集』の編者の大伴家持、『古今和歌集』の編者の紀貫之、『新古今和歌集』の編者の藤原定家…。いづれも、社会的構造転換の時代に翻弄され、没落していく政治的敗者たちであった。近松門左衛門の場合は、没落していくというより、自ら、没落の道を選択、志願した《下降志向》の人であった。私は、これまで、《人形浄瑠璃》や《歌舞伎》というようなものに、まったく興味がなかったが、溝口健二という映画監督に出会うことで、一瞬にして、近松門左衛門や人形浄瑠璃とかの虜になり、趣味嗜好が、《あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり》というように、変わってしまったのだった。さて、明日は、若い政治学者の某氏と、江藤淳をめぐって、対談することになっている。《こいつぁ春から縁起がいいわいのう》・・・。さて、この映画で、欠点があるとすれば、主人公茂兵衛を演じる長谷川一夫が、小太りの色男である点だろう。溝口健二は、スターを使うことが嫌いだったらしいが、皮肉なものである。
■岩田温氏との『江藤淳』をめぐる対話。 『月刊日本』の企画で、岩田温氏と、『江藤淳』についての連載対談(対話)をすることになったが、その一回目を、昨日、都内某所でおこなった。『月刊日本』の新春号(2月号)に掲載予定だ。一年後ぐらに書籍化することになっているが、すべては、岩田氏や『月刊日本』編集長の中村友也氏等にまかせているから、というより、彼等が若さにまかせて、強引にやってくれるようだから、私のような老骨の出るまくはなく、もちろん私が心配する必要もない。来年の今頃は、一冊の『対話篇』が、論壇や出版ジャー
■岩田温氏との『江藤淳』をめぐる対話。
『月刊日本』の企画で、岩田温氏と、『江藤淳』についての連載対談(対話)をすることになったが、その一回目を、昨日、都内某所でおこなった。『月刊日本』の新春号(2月号)に掲載予定だ。一年後ぐらに書籍化することになっているが、すべては、岩田氏や『月刊日本』編集長の中村友也氏等にまかせているから、というより、彼等が若さにまかせて、強引にやってくれるようだから、私のような老骨の出るまくはなく、もちろん私が心配する必要もない。来年の今頃は、一冊の『対話篇』が、論壇や出版ジャーナリズムを、論争や誹謗中傷、阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいるかもしれない 、などというのが、私の今年の、いささか出来すぎた《初夢》だった、と書くと、老人ボケもいい加減にしろ、と言われそうなので、ここらで、やめておく。いづれにしろ、《ポスト・モダン以後》、あるいは《ネットウヨ以後》を、思想的に切断し、次の時代の思想を先導するような対話篇でありたいと思っている。さて、私は、今、ギリシャ哲学のなかのプラトンの『対話篇』に凝っている。特に、『ソクラテスの弁明』を、最近、読んで目覚めた。ああ、なるほど、そうだったのか、と今頃になって、妙に納得してしまったというわけである。私は、大学で哲学を専攻したから、ひととおりギリシャ哲学についても基礎的な教養はあるつもりだったが 、プラトンの『対話篇』や、特に『ソクラテスの弁明』について、これまで格別に深い関心を持ったことはなかった。ギリシャ哲学というと、京都大学の田中美知太郎教授を連想するのが常識だろうが、もちろん哲学者、思想家としての田中美知太郎の業績や人間性を尊敬・畏怖しているのだが、田中美知太郎訳で読んだ『ソクラテスの弁明』には、何故だか、感動しなかった。私は、《感動しないもの》には食指を伸ばさないことをモットーにして生きて来たつもりだから、ソクラテスやプラトンに興味をもちながらも、深い関心を寄せることがなかったのも当然だった。当時は、ソクラテスやプラトンの話も、うわの空で聴いていたのだろう。私は、高校生の時 、これを勉強したい、これなら一生を棒に振っても、勉強し、研究しようと思ったものを見つけたので、受験勉強のための勉強や努力は、あるいは学者という職業のための勉強や努力は、最低限のレベルにとどめ、必要以上にはやらないで、程々にしよう、という習癖が身についている。というわけで、私は、好きだった哲学も文学も、わざわざそのために大学の文学部に進学したにもかかわらず、時がたてば別の方に関心が移り、見るのも聞くのも嫌になることがあった。たとえば、高校生の頃、大江健三郎を知り、その余波で、フランスの実存主義哲学者であり作家でもあったジャン・ポール・サルトルを知った。いっぱしのサルトルかぶれに哲学青年兼文学青年になっていた。しかし、大学入学後、そのサルトルの実存主義哲学の体系が、たとえば即自存在とか対自存在とかが、自分なりにわかってしまうと、それが錯覚であれ、なんであれ、読み続ける気力が失せていった。その頃、私の関心を引き付けて話さなかったのは、欧米の文学や哲学ではなく、日本の文芸評論家である小林秀雄や江藤淳だった。私は、大学の哲学科で、デカルトやベルグソンを学んだが、それらは、ほとんど小林秀雄を読むことで学び取ったレベルのデカルトやベルグソンだった。つまり、私は、小林秀雄や江藤淳を読むことで、《哲学を研究する》ことではなく、自分で《哲学する》ことを学んだということができるかもしれない。小林秀雄や江藤淳の《批評》には、その文章の行間に、強烈な《大学批判》や《学問批判》、《学者批判》が含まれれいる。大学や学者には、学問がない、思想がない、思考がない、ということである。これは、分かる人にしか分からない根源的な秘密というか秘伝というか、密教のようなものだろう。ところで、岩田温氏も、若くして大学教員の職につきながら、それをやめて、文筆業やユーチューバーに専念しようとしている。これは重要だ。今どき、こういうことを実践・実行する人は、岩田温以外にいない。たとえ偏差値最低の無名大学であろうと、東大や京大だろうと、教授とか准教授とかいう肩書きを、必死にしがみつく肩書き乞食はいても、安易に、それを捨て去る勇気のある人はいない。何故なら、そいう肩書きが、世渡りのうえで、有効な武器になることは、自明の理だからだ。ということは、つまり、学問や思想そのものより、肩書きや地位・身分が大事だということだろう。学問、思想、文学が衰退するのも当然だろう。しかし、岩田氏は、あっさりと、その肩書きや身分を捨てて、場末の《ヤクザ稼業》に過ぎないと思われている《物書き》や《ユーチューバー》に転じている。何回も言うが、ここには、重大な思想的意味がある。《国民の学歴が第一》と言いながら、《学歴より学問が第一》《肩書きより思想が第一》。文学や思想がダメになったのは、みんな《大学教授》という肩書きにしがみつき、《学問》や《思想》や《文学》を忘れてしまったからだ。これは、右翼も左翼も、ネットウヨもパヨクも関係ない。私が、岩田温氏を評価する根拠は、そこにある。《岩田温はダダモノではない》と、私が思ったのは、岩田氏が早稲田大学政経学部の学生で、まだ二十歳ぐらいの頃だったが、その根拠は、そういうところにあった。岩田氏と私は、年齢も思想信条も、趣味も、政治的立場も、出身大学も、大幅に異なる。せいぜい一致するのは女の趣味ぐらいか(笑)。にもかかわらず、現在まで、飽きずに付きあって来た。岩田氏の勉強会や飲み会に参加したこともあるし、マルクス『 資本論』を、音読しながら、読んだこともある。私の鹿児島の山小屋『 毒蛇山荘』で、合宿したこともあるし、鹿児島西南塾主催で、『 岩田温講演会』を開催したこともある。今回の対談もその一つになるだろう。
謹賀新年 2025,元旦 今年もよろしくお願い申し上げます。 山崎行太郎
謹賀新年
2025,元旦
今年もよろしくお願い申し上げます。
山崎行太郎
◼川口クルド人問題について。ネットウヨの馬鹿どもに・・・。 一昨日、一水会の木村三浩さんが中心の『 日本クルド友好会』の忘年会に参加してきた。場所は北区十条の駅前にあるレストラン。十条は、江藤淳が学生時代(日比谷高校と慶應大学)を過ごした街なので、江藤淳先生の弟子を自称し、しかも、現在、『 月刊日本』に江藤淳論を連載している私としては、ちょっと因縁のある街なのだ。 ところで、いつの頃からか忘れたが、川口や蕨周辺で、そこに住むクルド人の問題が、ネットウヨの間で持ち上がっているらしいという噂を、SNS
一昨日、一水会の木村三浩さんが中心の『 日本クルド友好会』の忘年会に参加してきた。場所は北区十条の駅前にあるレストラン。十条は、江藤淳が学生時代(日比谷高校と慶應大学)を過ごした街なので、江藤淳先生の弟子を自称し、しかも、現在、『 月刊日本』に江藤淳論を連載している私としては、ちょっと因縁のある街なのだ。
ところで、いつの頃からか忘れたが、川口や蕨周辺で、そこに住むクルド人の問題が、ネットウヨの間で持ち上がっているらしいという噂を、SNSなどで、しばしば耳目にするようになったが、私は別に関心もなかったのだが、私は、学生時代から、隣町の浦和というところに住んでいるので、次第に関心を持たざるを得なくなってきた。川口も蕨も、隣町で、古い街なので、私の行動半径のうちに入っているので、クルド人だけではなく、川口や蕨という街までが、誹謗中傷されるのを見ていると、あまり、いい気持ちがしない。おまけに、かなり昔から、私は、『 月刊日本』の編集長だった某氏等と、蕨駅や川口駅、あるいは赤羽駅の周辺の居酒屋で、打ち合わせや出版祝賀会など、個人的な飲み会を繰り返してきたので、もちろん一人で飲みに行くこともあるので、《おいおい、ちょっと待てよ》と言いたくなるのだ。たしかに、自民党や財界主導の《移民問題》には、私にも異論はある。しかし、《移民問題》や《移民政策》の問題を、クルド人や川口、蕨に限定し、そこに極限化して、物見遊気分で、《ヘイト・スピーチ》の馬鹿騒ぎを繰り返す、頭の弱い《ネットウヨ》の馬鹿どもには強い怒りを感じざるを得ない。《移民政策》や《外国人労働者》の問題は、ネットウヨの馬鹿どもの《御本尊》たる安倍晋三に責任の大半はあるはずだ。《安倍政治の総決算》こそが、今、やるべきことだろう。
(『 一水会』の木村代表と『 維新と興亜』編集長の坪内隆彦氏と。真ん中が小生。)
◼《玉木スキャンダル》の政治学。二人目の飛び降り自殺者は出るか? 今年の東京15区補欠選挙の前後から、女性立候補たちの動向が、気になっていた。いづれ、その中から、《飛び降り自殺者》が出るだろう、と不吉な予感がしていたのである。予感は、半ばはずれ、半ば的中した。《飛び降り自殺》したのは、意外なことに、国民民主党から立候補予定者として注目をあびていたが、《ラウンジ嬢》の経歴が問題視され、立候補断念においこめられた《高橋まり》さんだった。私は、別の女性立候補者を想定していたので、意外であり、驚くほかはなかった
◼《玉木スキャンダル》の政治学。二人目の飛び降り自殺者は出るか?
今年の東京15区補欠選挙の前後から、女性立候補たちの動向が、気になっていた。いづれ、その中から、《飛び降り自殺者》が出るだろう、と不吉な予感がしていたのである。予感は、半ばはずれ、半ば的中した。《飛び降り自殺》したのは、意外なことに、国民民主党から立候補予定者として注目をあびていたが、《ラウンジ嬢》の経歴が問題視され、立候補断念においこめられた《高橋まり》さんだった。私は、別の女性立候補者を想定していたので、意外であり、驚くほかはなかった。しかし、高橋まりさんの《飛び降り自殺》事件が、国民民主党党首の玉木雄一郎にからんでいたことは、深く記憶に残った。玉木雄一郎をめぐっては、最近、小泉みゆきという地元・高松市の観光大使の女性との不倫事件が注目されているが、私は、不倫事件そのものより、《高橋まり飛び降り自殺事件》を連想した。玉木雄一郎本人は、素早い謝罪会見によって、この不倫スキャンダルを乗り切ったように見えるのだが、玉木の不倫相手の小泉みゆきさんは、今、一部では連絡不能という噂もあるらしいが、現在、どうしているのだろうか。私は、玉木雄一郎のことより、高橋まりさんの場合と同様に、小泉みゆきさんの今後のことが、気になる。高松市の観光大使もやめたかとか、やめるとかいう話もあるらしいが。玉木は、自分の政治生命や自分の家族の将来のことは心配しているようだが、小泉みゆきさんの人生や将来などをどう考えているのだろうか。余計なお世話かもしれないが、ちょっと気になる。政治家志望の若い女性たちの人生や命など、所詮は、玉木雄一郎のような上昇志向オンリーの三流政治家にとって、《芸のコヤシ(笑)》に過ぎないのか。
(写真は高橋まりさんと玉木雄一郎氏。
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