■ベトナム戦争なんて知らないよ⑵。
清水正も僕も、政治の季節に背を向けて、文学や哲学・・・に、程度の違いや方向性の違いは多少なりともあるとしても、熱中していたことに違いはないと思う。《ベトナム戦争なんて知らないよ》と。《東大闘争も日大闘争も知らないよ》と。《俺は、自分のやりたいことをやるだけで精一杯なんだ》と。それって、意外に難しいことなのだ。若者は、時流や流行に流される。後で後悔してももう遅い。《あの時間》は、もう帰って来ない。学生運動や革命運動に熱中したいなら、それらに死ぬまで熱中しろよ、と思うが、二、三の例外を除いて、そんな奴はいない。どいつもこいつも、泣き言を言いながら 、適当に妥協し、転向や挫折を繰り返した挙句、それを自慢している始末だから、わびしいとい言うより、怒りを覚える。おまけに定年になると、子供や孫の自慢話や、元左翼とか元右翼とか称して、貧乏居酒屋のドシロート以下の政治漫談に花をさかせている。いい加減にしろよ、と言いたくなるが、そんなことを口に出すのも、くだらないことだから、我慢し、無視しよう。さて、清水正だが、彼は、日大芸術学部の学生時代に、日大闘争で学園が荒れていた頃、アルバイトで貯めたお金で 、最初の本『ドストエフスキー体験』を出版している。その後、大学院を経て、日大芸術学部教授に就任。そして現在まで、ドストエフスキー論を、延々と書き続けて、『ドストエフスキー論集全10巻』まで刊行している。もちろん、こんなことが、誰にでも出来るわけではない。彼が学生時代の日大芸術学部は、東大やその他の大学出身のくだらない、やる気のない教授たちが、教授会などを牛耳り、日大出身者は軽視され、冷遇されていた。多くの大学が、今でもそんなもんだろう。しかし清水正は、数々のイジメにあいながら、悪戦苦闘の末、その悪習を打ち破り、教授に就任すると、東大出身の馬鹿教授どもを次々と追い出し(?)、現在は、教授陣も、ほぼ日大出身者で固めている。ほとんどが清水正の弟子たちである。ちなみに、現在、日大副学長の山下聖美教授は、清水正の一番弟子である。僕の写真に、清水正とともに、しばしば登場する女性が、山下聖美さんである。くだらない学歴主義が跋扈し、無能なエセ秀才が、各所に蔓延って、日本文化の成長を阻害しているのが現在の日本の現状だが、清水正は、まさに、そういう悪弊を打ち破って、つまり孤立無援の戦いに打ち勝ち 、清水正の孤高の世界を構築し続けている。清水正のドストエフスキー論、あるいはドストエフスキー研究に匹敵するものは、東大や京都大学にも、また早稲田大学や慶應にもない。マスコミやアカデミズムが、無視しようと愚弄しようとそんなものは関係ない。ドストエフスキー研究で、清水正の業績は群を抜いている。ドストエフスキー研究で、清水正の右に出るものはない。
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以下は清水正の山川方夫論の連載です。(はてなブログ連載1回目)。
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