廣松渉とその時代。《疎外論 》から《 物象化論 》へ、あるいは《物的世界観》から《事的世界像》へのゲシュタルト・チェンジ。
私は最初から廣松渉を読んでいたわけではない。小林秀雄や江藤淳、柄谷行人・・・を熟読していた私からみれば、廣松渉のような堅苦しい生硬な文章を書くマルクス主義者が苦手だった。別に、理解できないから苦手だったのではない。私は、廣松渉の哲学論文が難解だと思ったことはない。私が廣松渉を読もうとしなかったのには別の理由があった。私が、廣松渉を読むようになったのは、廣松渉の《カント論》が素晴らしいという話を、大学院時代に聞いたからである。それなら、読んでみようかなと思ったのである。私が、最初に読んだ廣松渉の論文は、カント論ではなく科学哲学論『科学の危機と認識論』( 紀伊国屋新書 1973年 )だった。私が、その科学哲学論にヒントを得て書いたのが、『小林秀雄と理論物理学』という私の実質的処女作だった 。私は、そこで、ニュートン的近代科学とアインシュタイン的相対性理論、ハイゼンベルク的量子物理学の思考法の変化 、その現代物理学の三段階革命論に注目し、それが小林秀雄の批評の原理の誕生と平行関係にあるのではないかと考えたのである。批評家・小林秀雄の誕生とは、《危機 》に直面することであった 。《危機(クリティック) 》の自覚が批評(クリティック)なのである。批評と危機の語源は、同じ《クリティック》である。しかし、廣松渉には、批評の意味がよくわかっていないように見える。廣松渉の思考は、危機=批評を乗り越えて、新しい世界観というイデオロギーを再構築することにあるような気がする。廣松渉の《 物象化論 》、あるいは《事的世界観 》とは、廣松渉が再構築しようとした新しいイデオロギーに過ぎない。私は、廣松渉の《 物象化論 》や《 事的世界観 》を面白いとは思うが、しかし、その世界観に洗脳され、それに安心して、思考停止することが 、廣松渉の哲学であるように 、私にはみえる。私は、それには異論がある。そこには、残念ながら危機=批評がないからである。人が《考える》のは、危機=批評の場面だけである。廣松渉は、《 危機 》=《 批評 》からの回復を目指して、新しい理論を構築しようとしている。その新しい理論が、《 物象化論》や《事的世界観 》である。廣松渉の処女作は、『エンゲルス論 』であるが、この『エンゲルス論 』で、廣松渉は、《 唯物史観 》の確立において、主導的役割を果たしたのは 、マルクスではなくエンゲルスだったと主張している。これはこれで重大な発見であり、重大な研究であるが、ここにも廣松渉の《反批評的姿勢》は顕著である。私は、この『エンゲルス論 』を参考に、『 マルクスとエンゲルス』を書いたが、その思想内容は、廣松渉とはまったく逆であった。私は、マルクスは批評家であり、批評家であることによって、より深い哲学的思考を、つまり批評的思考を展開し続けることが出来たのだ、と論証した。私は、どちらかといえば、小林秀雄や柄谷行人のような《 文芸評論家 》的な《 批評 》に近い立場に立っていたのである。しかし言うまでもなく、廣松渉は、その死に至るまで思考する人であった。廣松渉に思考停止はなかった。ここが不思議なところである。廣松渉は新しい形而上学の確立を宣言したが、実は廣松渉こそ《 批評家 》だったのではないか。廣松渉も、《掘っ建て小屋 》に住み、絶えず思考し続けた《批評家 》だったのではないか。