山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

⬛️薩摩半島の山奥の限界集落にある《 古民家哲学カフェ》で、江藤淳を読む。



江藤淳山川方夫は、似た者同士的ではあったが、何処か微妙に違っていた。江藤淳山川方夫の差異は、《挫折》から立ち直る生活力と生命力にあった。江藤淳山川方夫もともに深い深刻な《挫折》をあじわっていたが、その《挫折》に対する対処の仕方に微妙な違いがあった。山川方夫には《挫折》に酔うところというか、甘えるようなところがあったが、江藤淳には、それがなかった。しかし、それは、必ずしも江藤淳が生活力があり、生命力が旺盛だったからではない。江藤淳も、高校時代から大学時代へかけて、《 肺病》という病を抱え 、たびたび休学や留年を余儀なくされていた。しかも家族にも病者を抱え、一家は破産寸前だった。江藤淳は、慶応大学の一 、二年生の時、自殺未遂事件を起こしている。江藤淳こそ《 挫折者 》だったのである。しかし、それでも江藤淳はへこたれなかった。つまり江藤淳こそ《 挫折 》状態にあり、それを嘆き哀しむこともできたが、江藤淳は、逆に挫折のどん底にいるが故に、必死でそこから這い上がろうともがいていた。そういう江藤淳にとっては、山川方夫の《 挫折 》に甘えるようなシニカルな態度が、容認できなかった。

《 私は彼の胸倉をつかんで、ネクタイを締めあげかねまじき目線で怒鳴った。「三田文学」の編集室のあった日本鉱業会館の、三階から四階に通じる踊り場でのことである。山川はそのとき顔色をかえてびっくりしたように私の顔をみつめ、しばらく黙っていた。だが次の瞬間に、

「 わかった。二人切りで話そう」

といったとき。彼の声からはそれまでのあるシニカルな響きは消えていた。

「君の家にいってもいいか? 」

山川はいった。》(『山川方夫と私』)



繰り返すが、江藤淳山川方夫とは似ていたが、決定的に違うところもあった。山川方夫は、江藤淳ほど強くなかった。江藤淳ほど断定的な口調で自己主張するだけの《強さ 》がなく、他人に遠慮するような、難局に直面すると、そこから逃げ出すような《 ひ弱な》ところがあった。 山川方夫を尊敬し、信頼するがゆえに、江藤淳には、その《シニカル 》な態度が我慢ならなかった。



《 私はそういう屈折したかたちで自己表現の欲求を充たそうとするのは邪道だといった。やはり彼は書くべきであり、ためらわずに自分を試みるべきである。私に書けといいながら、自分はおりているというのずるいと私はいった。山川はそのとき『 日々の死』書いているところだったが、その執筆の姿勢に私はある弱さを直感していたのである。彼が帰ったのは午前二時すぎだった。 》(同上)



この夜、江藤宅で、江藤淳山川方夫は、お互いに言いたいことを言ったと思われる。江藤淳はここで、山川方夫の《弱さ 》に言及している。私は、この《弱さ 》という平凡・凡庸な言葉は、江藤淳の批評的本質を理解する上での極めて重要な言葉ではないのか、と思う。《弱さ 》に居直り、《弱さ 》を売り物にする文学者や思想家が多い。江藤淳は、それを批判する。



《 だがいったい、私はなにを山川のなかに見ていたのだろうか? 私は山川に心のなかで頑張れ、頑張れ、といいつづけて来た。彼も私に同じように呼びかけてくれていた。ただ山川のいいかたと私のいいかたは、おそらくちがっていたのだ。私は山川にいいたかった。病気がなんだ。癲癇が病気なら、大腸カタルも同じ病気じゃないか。頑張って生きてくれ。それは私自身が誰かにいってもらいたいことに似ていた。崩壊と屈辱と無視を耐え忍ばなければならぬ者が、いつも誰かからいってほしいと願っていることに似ていた。しかし誰も私にいってくれる者はあらわれず、私は憤激をかかえ、曲る背中を無理にのばして生きている。生きることに意味があるから生きているのではない。意地で人が生きられることを自分に納得させるために生きているのだ。だから君も頑張って生きてくれ。こう私は山川にいいつづけて来た。それなのにその山川が突然死んだ。なんという人生だ、これは。 》(同上)



ここで、江藤淳が言っていることは 、実に単純なことにすぎない。江藤淳の言葉や文章が理解できない人はいないだろう。しかし、江藤淳が単純素朴な言葉や文章で言っていることの《真意 》や《 思想》を理解することは、容易ではないだろう。ここで江藤淳が言っているは、江藤淳の批評の本質であり、江藤淳の思想の原理でもある。この江藤淳の単純素朴な言葉や文章の奥に隠された《 思想 》を理解できないが故に 、安直な《 江藤淳批判》や《 江藤淳罵倒 》が、まるで自明の真理のごとく蔓延することになるのである。

ここから、私は、少し大袈裟かもしれないが、江藤淳における《 強さと弱さの形而上学 》とでも言うべき理論を読みとる。あるいは《 治者の形而上学》とか、《父と子の形而上学 》とか呼んでもいい。要するに 、江藤淳は、一貫して 、弱さや弱者を批判し、強さや強者を擁護してきたように見える。言い換えれば、江藤淳は、一貫して 体制や権力を擁護してきたように見える。おそらく、《 江藤淳批判》や《 江藤淳罵倒 》は、そこから生まれてきたと思われる。だが、江藤淳の《 強者》擁護論は、江藤淳批判者たちが想像しているような 、そんな単純なももではない。まず、江藤淳こそ《 挫折者 》であり、《 弱者》だったという事実を直視すべきだろう。江藤淳の《弱者批判 》は、《 自己批判 》なのである。



⬛️薩摩半島の山奥の限界集落にある《 古民家哲学カフェ》で、江藤淳を読む⑵。



私が、江藤淳における《強さと弱さの形而上学》、あるいは《 治者の形而上学 》と呼ぶところのものが 、具体的にもっとも鮮明に体現されているのが、江藤淳太宰治論ではないか、と私は思う。江藤は、太宰治の《 弱さ》を批判するわけではない。《 弱さの演技》、つまり《 弱さの自己欺瞞》 を批判する。太宰治に面とむかって 、《 私はあなたが嫌いだ》 とか言い放ったのは三島由紀夫だったが 、三島由紀夫太宰治批判も、江藤淳太宰治批判にちかい三島由紀夫は続けて 、《 太宰治の悩みはラジオ体操か乾布摩擦でもすれば すぐに解消されるはずだ》とも言ったといわれているが 、 私は 、この太宰治批判は、江藤淳太宰治論にも通じるものをもっていると思う。江藤淳三島由紀夫も、太宰治の《 弱さの演技》、《 弱さの自己欺瞞》を批判している。しかし、太宰治批判は難しい。少なくとも 、文学業界に身を置くものでありながら、太宰治批判を行うといいうことは、かなり危険なことである。文学業界には、太宰治をまともに批判する人は少ない。江藤淳は 、まとまった太宰治論を書いているわけではないが 、短文のエッセイで、こう書いている。



《 しかし 、同時に彼のなかには、甘ったるい悪い酒のようなものがあった。あるいは「ふざけるな。いい加減にしろ」といいたくなるものがあった。「 ホロビ」の歌をうたっていらるのはまだ贅沢のうちである。「ホロビ」てしまっても人は黙って生きて行かなければならぬ。》(『 太宰治再訪ー桜桃忌に寄せて』)



「ふざけるな。いい加減にしろ」・・・とは、かなり強烈な言葉である。こういう過激な太宰治批判は、心の底では思っていても、なかなか、言葉にすることはない。三島由紀夫江藤淳のような過激な文学者のみが、よくなしうることだろう。



⬛️薩摩半島の山奥の限界集落にある《 古民家哲学カフェ》で、江藤淳を読む⑶。

江藤淳三島由紀夫太宰治批判、つまり《 弱さの形而上学》、ないしは《 治者の形而上学 》は、唐突に見えるかもしれないが、いわゆるニーチェの《ルサンチマン 》の哲学(『 善悪の彼岸』『道徳の系譜』『権力への意志』)に通じるものがある。ニーチェも、いわゆる《 弱者 》を、《 弱さの自己正当化 》を理由に批判した哲学者だったが、その批判の仕方は、江藤淳のそれ 、つまり《弱者の自己欺瞞》批判と、ほとんど変わらない。江藤淳を批判・嘲笑するひとたちで、ニーチェを批判・嘲笑する人はいないだだろう。何故か 。日本の一介の文芸評論家にすぎない江藤淳なら 、簡単に批判・嘲笑できるが、西欧哲学史に燦然と輝いて残るニーチェの名声の前では、誰も沈黙せざるをえないからである。いや、逆にニーチェを肯定し、過剰に絶賛するのが、この手の学者や思想家、ジャーナリストの通例である。これは、つまり、江藤淳を批判・嘲笑する人たちが 、江藤淳ニーチェも、ろくに読んでいないということを意味している。こういう悲喜劇は、我が国のアカデミズムやジャーナリズム、そして文学業界では、よくあることである。この連中は、よく勉強らしきものはしているが、何も考えていない連中だからである。
さて、では 、ニーチェは、どういう論理で、いわゆる《弱者 》を厳しく批判したのか。ニーチェの出発点は、《 弱者 》は弱者である 、という現実を認め 、肯定することである。しかし、《弱者 》は自分が弱者であるという現実を、それが弱者たる所以なのだが、なかなか受け入れない。そこで 、《自己正当化 》 を試みる。自分が弱者あのは、弱いからではなく、《 正しい 》からだ、《 善 》だからだ、だからこそ負けたのだ、だからこそ敗者になったのだ、と。自分たちは《正しい 》が故に、また《善》なるが故に 、敗者になったのだ。ここで 、ニーチェの言う《価値転倒 》が起こっている。《弱いのは正義である 》《 弱者は善人である》という価値転倒。ここに自己欺瞞がある。ニーチェキリスト教的道徳をその典型であると批判する。そして 『権力への意志』の哲学を主張する。ニーチェは《 弱者 》や《弱さ》を批判し否定したのではない。 弱者の《 自己欺瞞 》 を批判したのである。
江藤淳も同じである。江藤淳は《 図々しい弱者が嫌いだ 》と言った。《 甘ったれるのもいい加減にしろ》と言った。まさに 、これこそが ニーチェの『権力への意志』の哲学である。


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