山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■《丘の上の温泉 》。92歳のお婆ちゃんに教えられたこと。昨日も、例の《丘の上の温泉》に行ってきた。 私は、いつも、コミュニテイ・バス(100円)を使って、温泉に行くのだが、昨日は、不思議な同乗者がいた。だいたい同乗者は、買い物か病院通いの老人たちなのだが、昨日は、違っていた。私がバスをおりて、《 丘の上の温泉 》を目指して、急勾配の坂道を、休み休みしながら、ノテノテ歩いていると、後ろからついてくる老人がいる。普通の温泉客はほとんど車だ。急勾配の坂道を歩いて昇ってい行くのは私ぐらいしかいない。しかし、

■92歳のお婆ちゃんに教えられたこと。昨日も、例の《丘の上の温泉》に行ってきた。

私は、いつも、コミュニテイ・バス(100円)を使って、温泉に行くのだが、昨日は、不思議な同乗者がいた。だいたい同乗者は、買い物か病院通いの老人たちなのだが、昨日は、違っていた。私がバスをおりて、《 丘の上の温泉 》を目指して、急勾配の坂道を、休み休みしながら、ノテノテ歩いていると、後ろからついてくる老人がいる。普通の温泉客はほとんど車だ。急勾配の坂道を歩いて昇ってい行くのは私ぐらいしかいない。しかし、今日はなにか変だ。私以外にも坂道を昇って来る老人がいる。《あれ?》とおもって振り返ってみた。やはり 、バスの同乗者だった老人のようだ。私は、昔から、無愛想を絵に描いたような人間なので、知らん振りして、温泉に入り、温泉から出ると、同じ坂道をくだる。丘を降りてからは、近くの巨大スーパーに行って簡単に買い物をすませ、巨大スーパーの中にあるレストランで、ザルそばでビールを飲みながら 時間を過ごした。温泉入浴後のビール、至福の時間だ。帰りのバスの時刻にあわせて、再びバス停に向かうと、また例のお婆ちゃんとおぼしき老人が、後ろからついて来る。私と同じように、買い物をし、レストランで食事でもしていたのだろうか。私の後をついてくるのではなく、お婆ちゃんもまた、帰りのバスの時刻で、バス停に向かっているのだろう。時間を計算して、私がゆっくり歩いていると、私を追い越していき、バス停で、バスを待っているようすだ。しばらくして、バスの時刻が近づいてきたので、私もバス停の近くへ移動した。お婆ちゃんからは少し離れていた。すると、何か話しかけてきた。《あなたもバスに乗るの? 》と言っているようだ。《 ああ 》と曖昧に答えると、《もっとこっちへ来なさいよ》と言う。 話しぶりから、上品で、やさしそうなお婆ちゃんだとわかったので、私も気を許して話すことにした。お婆ちゃんが《どこまで行くの?》と聞くから、《 〇〇》と返事するとよく分からない様子だ 。《 私は嫁に来たから、詳しいことは分からない 》という。なるほど、そういえばそうだな、と思う。年齢を聞くと《92歳》だというではないか。ちょっと驚いた。92歳で、あの急勾配の坂道を、一人で、らくらくと昇っていけるものなのか・・・。不思議な気持ちでいると、《病院より温泉の方がいいよ》と目の前の病院を指さしながら言う 。ここには、大きな病院もあるのだ。話のついでに、私が、面倒くさいので、《東京から墓参りに帰ってきたんです》というと、《飛行機? 》と聞くから《いや新幹線 》と答えると、東京に娘か息子がいるらしく、飛行機で東京へ行った時の話をはじめる。《車椅子に乗せられて 大変だった 》と。車椅子だと降りるのが最後になるらしい 。さっさと自分の足で歩いて降りたかったのだろうか。《乗ったり降りたりが簡単で、新幹線の方がらくですよ 》というと、《 そうね 》とうなづいている。バスがきたので、お婆ちゃんの後から乗ろうとしていると、92歳のお婆ちゃんが、《 お先にどうぞ 》というように手で合図をおくっている。私の方が、いたわるべき、弱々しい老人に見えたのだろうか。たぶん 、そうに違いない。 92歳のお婆ちゃんの《 優しさ 》を考えていると、突然、もうとっくの昔に亡くなった母親のことが、脳裏に浮かんで来た。母親は、生きていれば 何歳ぐらいになるだろうか。92歳? まさか。もう100歳をこえているばずだ。バスの中は二人だけだった。お婆ちゃんの降りるバス停がきたが降りようとしない。バス停を通りすぎて 、しばらくすると 、お婆ちゃんは、《 お願いします 》と大きな声で、運転手に声をかけた。運転手は《 了解 》というように 、前を向いたままで、手を振った。バス停ではない道路わきの空き地にバスは停まった。お婆ちゃんは元気よく降りていった。もちろん、降りる前に、私の方を振り向いて、92歳のお婆ちゃんは手を振ってくれた。私も手を振った。《 またね 》と。しかし、もう二度と会うことはないかもしれないと思った。そう言えば、帰郷はしたが、まだ墓参りにいっていない。明日は墓参りに行こうと思ったのだった。