⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。
私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた 。福田の大著には、《 石原莞爾とは何か 》という本質論、原理論、つまり《 存在論 》が欠如しているようにみえるのだ。あるのは、すでに、誰でも、何処かで聞いたり読んだりしたことのある公知の《 政治漫談 》ばかりだ 。だから 、ただ長いだけがとりえの《 冗長な大著》ということになるのだろう。これは、原稿料稼ぎの大衆作家や大衆文学がやることだろう。たとえば、東京裁判における石原莞爾の奇抜な発言の場面がある。当時、膀胱炎で重篤な状況だった石原莞爾は、酒田市の酒田商工会議所に設置された東京裁判臨時法廷に呼び出され、そこで尋問を受けることになったが、福田和也がは、次のように書いている。
《 開廷した直後判事から、「尋問に先立って 何か云うことはばいか」 と問われて、「自分が、なぜ戦犯にされないのか、まったく腑に落ちない 」と云いはなって、一座を唖然とさせた。》(福田和也『 地ひらく』)
「自分が、なぜ戦犯にされないのか、まったく腑に落ちない 」・・・。なかなか、ふてぶてしい辛辣な言葉だ。しかし、私は、こういう言葉(対話)には《唖然》としない。むしろ、なにか、芝居がかった作為的な、幼児的なものを感じて、興醒めする。石原莞爾は、自分が《戦犯》にならなかったという結果論を前提にした上で、この暴言を放っている。しかも場所が、多くの注目を浴びていたとはいえ、市ヶ谷の東京裁判の軍事法廷ではなく、酒田市の臨時法廷である。私は、こういう奇抜な放言に接して、しきりに石原莞爾を、単純素朴に偶像崇拝する連中に追随して、絶賛する気にはなれない。しかし、それでもなお、私も、石原莞爾はタダモノではなかったとは思う。私は、単純に神話化し、偶像崇拝する前に、それを言わしめた石原莞爾という軍人の内面と思想に興味を持つ。石原莞爾とは何者だったのか。