山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(3)。 ヘーゲルは『歴史哲学講義 』の冒頭で、事実の記述だけでは、歴史ではない、歴史は、哲学的歴史において初めて歴史になると言っている。このヘーゲル的歴史には、賛否両論があるだろうが、私は、重要な意見だと思う。小林秀雄は、その初期の段階から、ヘーゲル=マルクス主義的な「唯物史観」を激しく批判・攻撃しているが 、史料や文献だけで歴史が成立するとは言っていない。歴史への参加を主張している。また、私は、以前から東洋史学の岡田英弘(東京外語大名誉教授)の『 歴

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(3)。 ヘーゲルは『歴史哲学講義 』の冒頭で、事実の記述だけでは、歴史ではない、歴史は、哲学的歴史において初めて歴史になると言っている。このヘーゲル的歴史には、賛否両論があるだろうが、私は、重…

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(2)。 私は、呉座勇一をめぐる「呉座勇一●八幡和郎論争」や「呉座勇一●井沢元彦論争」をネット上で傍観しながら、「歴史問題」だけではなく、現在の日本が直面している多くの問題の根っこが、ここにあるのではないか、と考えた。それは、私が、日ごろから考えている日本人の「思考力の衰弱」「思考力の欠如」という問題であった。現在の日本では、「考えている人間」、あるいは「考えようとしている人間」を 、「考ええない人間」、あるいは「考える力のない人間」が、学歴や職歴、肩書

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(2)。 私は、呉座勇一をめぐる「呉座勇一●八幡和郎論争」や「呉座勇一●井沢元彦論争」をネット上で傍観しながら、「歴史問題」だけではなく、現在の日本が直面している多くの問題の根っこが、ここにあるの…

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(1)。 知らない人は不思議に思うかもしれないが、呉座勇一に関しては、私は、野次馬的興味もないわけではないが、かなり真剣に、拘っている。私は、最近、「歴史」という問題に、関心を持っている。私は、これまで、「文学」や「哲学」、あるいは「政治」などには、関心を持ってきたが、正直のところ「歴史」には、さほど興味がなかった。私が、最近、「歴史」に関心と興味を持つようになったのには思想的理由がある。私は、NHKの歴史大河ドラマは、昔からほとんど見ていないが、たまた

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(1)。知らない人は不思議に思うかもしれないが、呉座勇一に関しては、私は、野次馬的興味もないわけではないが、かなり真剣に、拘っている。私は、最近、「歴史」という問題に、関心を持っている。私は、…

呉座勇一の「ジェンダー事件」について、「Youtube動画」で話してみた。 ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/ncb50GEBuNg https://youtu.be/ncb50GEBuNg

呉座勇一の「ジェンダー事件」について、「Youtube動画」で話してみた。それって、言論統制=思想統制=言論弾圧じゃないのか。〜正論、花盛りで国滅ぶ〜。⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/ncb50GEBuNg https://youtu.be/ncb50GEBuNg●資料⑴ 「朝日新聞デジタ…

呉座勇一の「ジェンダー事件」について、「Youtube動画」で話してみた。 ⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/ncb50GEBuNg https://youtu.be/ncb50GEBuNg

呉座勇一の「ジェンダー事件」について、「Youtube動画」で話してみた。⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎ https://youtu.be/ncb50GEBuNg https://youtu.be/ncb50GEBuNg

♯国際日文研の「♯呉座勇一」について、私の知っていることを話してみよう。 「国際日文研」とは、バブル期のころ、古代史研究で有名な梅原猛等が主導して、京都に設立された研究機関「国際日本文化研究センター」である。バブル期の遺産である。そこで「助教」という下っ端研究員である「呉座勇一」が、何か、取り返しのつかない不始末をしでかして、謝罪騒動に追い込められたり、「国際日文研」の方でも、訳の分からない声明文を出したりと、前代未聞のスキャンダルに発展しているらしい。以下に引用するのは、「国際日文研」所長だという井上

国際日文研の「#呉座勇一」について、私の知っていることを話してみよう。 「#国際日文研」とは、バブル期のころ、古代史研究で有名な#梅原猛等が主導して、京都に設立された研究機関「国際日本文化研究センター」である。バブル期の遺産である。そこで「助…

藤田東湖と西郷南洲(3-2) 西郷南洲と藤田東湖とが、交流したのは、わずか一年半であった。しかし、何回も繰り返すが、この「一年半」は、貴重な一年半であった。藤田東湖は、安政2年10月2日、志半ばで、安政の大地震に巻き込まれ、あっけなく歴史の表舞台から消えていく。残された西郷南洲にとって、嘆き悲しむ余裕も時間もなかった。まさに歴史は激動の時代へと入っていく。西郷南洲は、藤田東湖の「死亡」と共に、その遺志を受け継ぐかのように、藩主島津斉彬の手足となり、政治の前面に登場し、目覚しい活躍をする。この頃の政治は、

藤田東湖と西郷南洲(3-2) 西郷南洲と藤田東湖とが、交流したのは、わずか一年半であった。しかし、何回も繰り返すが、この「一年半」は、貴重な一年半であった。藤田東湖は、安政2年10月2日、志半ばで、安政の大地震に巻き込まれ、あっけなく歴史の表舞台か…

国際日文研の呉座要一(助教)が取り返しのつかない不始末をしでかしたらしい・・・。 「京都日文研ー助教」の呉座要一は、前から分かっていたが 、単なる「インチキ野郎」 「妄想野郎」だろう。呉座要一は、勤務先の「京都日文研」を傘にきて、民間歴史研究者に向かって、悪罵・暴言を吐きまくっていたが・・・。とうとうメッキが剥がれたようだ 。 「京都日文研」は責任取れよ。(笑)「京都人文研」も、呉座スキャンダルで終わったね。「京都日文研」は解体せよ。いつまで 、こういうキチガイを、税金で 、雇うのだよ。何は、と

国際日文研の呉座要一(助教)が取り返しのつかない不始末をしでかしたらしい・・・。 「京都日文研ー助教」の呉座要一は、前から分かっていたが 、単なる「インチキ野郎」 「妄想野郎」だろう。呉座要一は、勤務先の「京都日文研」を傘にきて、民間歴史研究者…

藤田東湖と西郷南洲(3) 内村鑑三の『 代表的日本人』は、西郷南洲(西郷隆盛)の話から始まっている。それは、内村鑑三が、西郷南洲をいかに高く評価していたかを示している。その『 代表的日本人』の中の西郷南洲の話の中に、藤田東湖が登場する。藤田東湖と西郷南洲の出会いについて、こう書いている。 《 しかし、重要で、もっとも大きな精神的感化は、時代のリーダーであった人物から受けました。それは、「大和魂のかたまり」である水戸の藤田東湖です。東湖はまるで日本を霊化したような存在でした。》 つまり、内村鑑三の西郷南

藤田東湖と西郷南洲(3) 内村鑑三の『 代表的日本人』は、西郷南洲(西郷隆盛)の話から始まっている。それは、内村鑑三が、西郷南洲をいかに高く評価していたかを示している。その『 代表的日本人』の中の西郷南洲の話の中に、藤田東湖が登場する。藤田東湖と…

存在論としての漱石論(13) (註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。 存在論としての漱石論(13) 漱石神話の中心にあるのは「則天去私」という神話である。江藤淳は、漱石の弟子たちが中心になって作り上げた、この神話を批判し、破壊する。そもそも、この言葉の意味は、「天然自然に則り、私という自我を捨てて生きる・・・」という漱石の晩年の生き方の理想と理念を表す漱石自作の言葉だが、しかし、漱石の弟子たちは、そ

存在論としての漱石論(13) (註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。存在論としての漱石論(13)漱石神話の中心にあるのは「則天去私」という神話である。江藤淳…

(註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。 存在論としての漱石論(12) 江藤淳の漱石論で、眼を引くものの一つは、漱石と、単なる崇拝者でしかない、その弟子たちとを分けて論じているところだ。江藤淳は、その漱石論で、所謂、「漱石神話」の製作者たちを手厳しく批判し、「漱石神話」なるものを破壊している。

(註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。 存在論としての漱石論(12) 江藤淳の漱石論で、眼を引くものの一つは、漱石と、単なる崇拝者でしかない、その弟子た…

存在論としての漱石論(11) (本稿は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。完成稿は『月刊日本』でお読みください。) 前にも書いたが、私は、小さ頃は、「文学」も「読書」も「図書館」も嫌いであった。嫌いというより、激しく軽蔑し、むしろ憎悪さえしていた。私は、その屈折した自分の心理構造がよく分からなかったが、高校時代、遅ればせながら、大江健三郎や小林秀雄やドストエフスキーなどを読むようになって、ぼんやり分かってきた。

存在論としての漱石論(11) (本稿は、『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。完成稿は『月刊日本』でお読みください。)前にも書いたが、私は、小さ頃は、「文学」も「読書」も「図書館」も嫌いであった。嫌いというより、激しく軽蔑し、…

存在論としての漱石論(10) 江藤淳の評判も評価も悪い。所謂、「蛇蝎の如く嫌う」人も少なくない。江藤淳を高く評価する人に会ったことは、ほとんどない。何故だろうか。私は、むしろ、そこに、江藤淳の批評的才能の「凄さ」を感じる。江藤淳を高く評価する人の中の代表的な人物として、吉本隆明と柄谷行人がいる。特に吉本隆明の江藤淳論は、興味深い。

存在論としての漱石論(10) 江藤淳の評判も評価も悪い。所謂、「蛇蝎の如く嫌う」人も少なくない。江藤淳を高く評価する人に会ったことは、ほとんどない。何故だろうか。私は、むしろ、そこに、江藤淳の批評的才能の「凄さ」を感じる。江藤淳を高く評価する人…

言論誌『維新と興亜 』の編集長=坪内隆彦氏のFacebookからの孫引きですが、福島伸享=前衆議院議員(茨城一区)が、 Facebookで、『 維新と興亜』と、小生の『藤田東湖と西郷南洲(2) 』を紹介してくれたようです。ありがとうございます。ちなみに、福島伸享氏は、茨城県(水戸)の出身で、現在も水戸に住んでいるようです。(山崎行太郎)

言論誌『維新と興亜 』の編集長=坪内隆彦氏のFacebookからの孫引きですが、福島伸享=前衆議院議員(茨城一区)が、 Facebookで、『 維新と興亜』と、小生の『藤田東湖と西郷南洲(2) 』を紹介してくれたようです。ありがとうございます。ちなみに、福島伸享氏は…

存在論としての漱石論(9) 江藤淳は、文学や文学者を厳しく批判する。しかし、それは、文学を否定することではない。文学を肯定し、文学の精神と力を擁護するためだ。この分析と論理の「弁証法」が分からなければ、江藤淳の批評の意味も、その過激な批評的思考力の魅力も分からない。批判は否定ではない。厳しい批判のないところには「肯定」もない。

存在論としての漱石論(9) 江藤淳は、文学や文学者を厳しく批判する。しかし、それは、文学を否定することではない。文学を肯定し、文学の精神と力を擁護するためだ。この分析と論理の「弁証法」が分からなければ、江藤淳の批評の意味も、その過激な批評的思…

存在論としての漱石論(8) 私が、江藤淳を高く評価する根拠は、その「批評的思考力」の過激さである。何者をも恐れずに、誰彼、構わずに論争を仕掛けていき、完膚なきまでに論破していくその「攻撃力」と「破壊力」である。江藤淳が、あと先や、周辺の顔色をうかがいながら、その過激な批評的思考力を行使しているとは思えない。

存在論としての漱石論(8) 私が、江藤淳を高く評価する根拠は、その「批評的思考力」の過激さである。何者をも恐れずに、誰彼、構わずに論争を仕掛けていき、完膚なきまでに論破していくその「攻撃力」と「破壊力」である。江藤淳が、あと先や、周辺の顔色を…

存在論としての漱石論(7) 正宗白鳥を援用しつつ、繰り返される江藤淳の日本の近代文学、特に「私小説」に対する批判は鋭く、過激だ。まず、正宗白鳥から。 《明治文学中の懐疑苦悶の影も要するに西洋文学の真似で付焼刃なのではないだろらうか。明治の雰囲気に育った私は、過去を回想して多少疑いが起こらないことはない 》(正宗白鳥『明治文学総覧 』)

存在論としての漱石論(7) 正宗白鳥を援用しつつ、繰り返される江藤淳の日本の近代文学、特に「私小説」に対する批判は鋭く、過激だ。まず、正宗白鳥から。 《明治文学中の懐疑苦悶の影も要するに西洋文学の真似で付焼刃なのではないだろらうか。明治の雰囲気…

存在論としての漱石論(6) (本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代3 』の下書きです。) 江藤淳は、吉田健一的な、あるいは西脇順三郎的な、高尚で、高踏的な文学や文学研究を、それが限りなくホンモノに近いにも関わらず、まさにホンモノに近いが故に、批判する。おそらく ,彼らが、自分自身の実存 、日本の現実、日本の時代背景、日本国民の生活・・・を無視、黙殺しているからだろう。

存在論としての漱石論(6) (本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代3 』の下書きです。)江藤淳は、吉田健一的な、あるいは西脇順三郎的な、高尚で、高踏的な文学や文学研究を、それが限りなくホンモノに近いにも関わらず、まさにホンモノに近いが故に…

■昨日(3.7、日曜日)、【山崎行太郎】【内山卓也】【森哲子】の「ZOOM」によるYoutube動画『反=論壇時評』を収録、配信しました。テーマは、『 総務省スキャンダルと竹中平蔵とスガ総理』・・・。 ■総務省は、小泉政権における「郵政民営化」以来、「竹中一派」(竹中平蔵、菅義偉、高橋洋一、岸博幸・・・)の利権と人脈の巣窟である。現代日本の政権中枢にくい込み、内部から「日本潰し(日本後進国化)」を目論む「スガ政権(竹中一派)」の陰謀を排除するには 、総務省解体=再構築しかない。 ■今こそ、「郵政民営化

■昨日(3.7、日曜日)、【山崎行太郎】【内山卓也】【森哲子】の「ZOOM」によるYoutube動画『反=論壇時評』を収録、配信しました。テーマは、『 総務省スキャンダルと竹中平蔵とスガ総理』・・・。 ■総務省は、小泉政権における「郵政民営化」以来、「竹中一派…

「存在論としての漱石論」(5) 夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者としての能力がなかったから、なれなかったのか。無論、そうではない。では、何故 、なれなかったのか。漱石の有名な言葉に、「英文学に欺かれたるが如き不安の念」というのがある。これは、東京帝国大学の講義ノート『 文学論』の中の言葉である。漱石は、東京帝国大学講師を辞めて、作

「存在論としての漱石論」(5) 夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者とし…

『月刊日本』に連載開始した『 江藤淳とその時代 (2)』の二発目の原稿を書き終えました。サブタイトルは、「存在論としての漱石論」です。江藤淳は、文芸評論家であるにもかかわら ず、激しい「文学」及び「文学的なるもの」への反感、批判、拒否感情をもっていました。江藤淳は、日比谷高校から、同窓生たちが東大へ進学していくのを尻目に、早々と東大進学を断念し、敢えて、慶應義塾大学文学部へ進学し、英文学を専攻しました。飛び抜けた秀才で、教師からも一目置かれていました。しかし、そこで、天敵というか宿敵というか、西脇順三郎と

『月刊日本』に連載開始した『 江藤淳とその時代 (2)』の二発目の原稿を書き終えました。サブタイトルは、「存在論としての漱石論」です。江藤淳は、文芸評論家であるにもかかわら ず、激しい「文学」及び「文学的なるもの」への反感、批判、拒否感情をもっ…

私も『西郷南洲と藤田東湖 』を連載している言論誌『維新と興亜』第5号が発売中です。キンドル版(500円)も・・・。定期購読も募集中です。 https://ishintokoua.com/

私も『西郷南洲と藤田東湖 』を連載している言論誌『維新と興亜』第5号が発売中です。キンドル版(500円)も・・・。定期購読も募集中です。 https://ishintokoua.com/〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 https://ishintokoua.com/おはようございます。 『維…

存在論としての漱石論(3) 江藤淳が標的にしているのは、主に吉田健一であるが、実は、文面には出てこないが、当時、慶應義塾大学英文科教授で、詩人だった西脇順三郎がいる。ちなみに、西脇順三郎は 、江藤淳の大学の指導教授の一人であった。江藤淳は、指導教授に喧嘩を仕掛けているのだ。並々ならぬ決意が感じられるだろう。

(本稿は、例によって、『 月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代 』の下書きです。) 存在論としての漱石論(3) 江藤淳が標的にしているのは、主に吉田健一であるが、実は、文面には出てこないが、当時、慶應義塾大学英文科教授で、詩人だった西脇順三郎がいる…

■存在論としての漱石論(2)。 江藤淳の「批評」が、本質的、原理的、存在論的・・・だということは、どういうことだろうか。江藤淳は、漱石について、面白いことを言っている。文壇や文学研究者たちの世界で、一種の「常識」となっている「作品至上主義」とも言うべき固定観念を激しく批判・攻撃している。

■存在論としての漱石論(2)。 江藤淳の「批評」が、本質的、原理的、存在論的・・・だということは、どういうことだろうか。江藤淳は、漱石について、面白いことを言っている。文壇や文学研究者たちの世界で、一種の「常識」となっている「作品至上主義」とも…

『維新と興亜 』という雑誌があります。友人の坪内隆彦氏が編集長です。私も、『藤田東湖と西郷南洲 』を前号より連載しています。第五号が発売中です。内容は以下の通りです。Amazonやネットより、お求めください。定期購読者も募集中です。よろしくお願い…

『 スガと総務省スキャンダルとマスコミ支配』ー『 総理が怒ってますよ』と脅迫したのはアノ女だった。 山崎行太郎と内山卓也と森哲子のYoutube動画『 反=論壇時評』

『 スガと総務省スキャンダルとマスコミ支配』ー『 総理が怒ってますよ』と脅迫したのはアノ女だった。 山崎行太郎と内山卓也と森哲子のYoutube動画『 反=論壇時評』https://t.co/v5VEnka6FC https://t.co/v5VEnka6FC (「チャンネル登録」もよろしくお願いし…