山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

■『王道アジア主義』の哲学的基礎《3》〜石原莞爾論〜 石原莞爾は、若い頃、ドイツに二年以上留学し、西欧の軍事史を勉強している。『 最終戦争論』も、前半は、西欧の戦争を題材にして、戦争には、短期決戦型の《 決戦戦争 》と、長期戦型の《持久戦争 》の二つの類型があると論じている。古代ギリシャ、ローマの時代の戦争から、フランス革命、ナポレオン戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)まで、この二つの戦争が、交代に、繰り返されてきたと書いている。そして、最終的に、強力な破壊力を持つ《 新兵器》を使った決戦型の残酷

■『王道アジア主義』の哲学的基礎《3》〜石原莞爾論〜石原莞爾は、若い頃、ドイツに二年以上留学し、西欧の軍事史を勉強している。『 最終戦争論』も、前半は、西欧の戦争を題材にして、戦争には、短期決戦型の《 決戦戦争 》と、長期戦型の《持久戦争 》の…

⬛️『王道アジア主義』の哲学的基礎《2》〜石原莞爾論〜 《国柱会》とは、田中智学が、日蓮宗を土台に、新しく起こした宗教団体で、その主要思想は、《国柱会》という文字が示すように、《国の柱になれ!》という思想だ。宗教というのは、一般的に《個人主義》というか、《個人の救済》が中心だが、国柱会は 個人の救済より前に、《国》つまり《国家》を優先し 、《国家の救済》があってこそ、《個人の救済》も可能だという宗教思想だ。たとえば、宮澤賢治は、《全ての人が幸せにならない限り、私の幸せはない。》という趣旨のことを言ってい

⬛️『王道アジア主義』の哲学的基礎《2》〜石原莞爾論〜《国柱会》とは、田中智学が、日蓮宗を土台に、新しく起こした宗教団体で、その主要思想は、《国柱会》という文字が示すように、《国の柱になれ!》という思想だ。宗教というのは、一般的に《個人主義》…

⬛️王道アジア主義の哲学的基礎〜石原莞爾論〜 坪内隆彦氏の新著『木村武雄の日中国交正常化』《望楠書房》という本を読んでいるうちに、いろいろ、思いつくことがあったので、思いつくままに、感想を記しておきたい。《 日中国交正常化》は、田中角栄内閣の時代に実現したとおもっていたが・・・。その裏で、日中を股にかけて飛び回り、《 日中国交正常化 》に向けて精力的に動いていた男がいた。それが木村武雄だった。木村武雄は、戦前から、石原莞爾の薫陶を受けた筋金入りの《アジア主義者》だった。では、その《アジア主義》とは何か。

⬛️王道アジア主義の哲学的基礎〜石原莞爾論〜坪内隆彦氏の新著『木村武雄の日中国交正常化』《望楠書房》という本を読んでいるうちに、いろいろ、思いつくことがあったので、思いつくままに、感想を記しておきたい。《 日中国交正常化》は、田中角栄内閣の時…

⬛️山川方夫と江藤淳とサルトル。 私が、山川方夫に強い関心をもつようになったのは、江藤淳を読むようになってからだった。江藤淳は、日比谷高校時代の友人安藤元雄が主宰する同人雑誌『PURETE』に発表した「マンスフィールド覚書」を読んだ『三田文学』編集長の山川方夫から、人伝に、声をかけられた。一回目はことわったが、再度、原稿を見せて欲しいという誘いがあったため、それには応じることにした。江藤淳は、『三田文学』に対してそれまであまり関心がなかったが、とりあえず銀座にあった『三田文学』編集室を訪ねてみることにし

⬛️山川方夫と江藤淳とサルトル。私が、山川方夫に強い関心をもつようになったのは、江藤淳を読むようになってからだった。江藤淳は、日比谷高校時代の友人安藤元雄が主宰する同人雑誌『PURETE』に発表した「マンスフィールド覚書」を読んだ『三田文学』…

⬛️山川方夫と江藤淳とサルトル。 私が、山川方夫に強い関心をもつようになったのは、江藤淳を読むようになってからだった。江藤淳は、日比谷高校時代の友人安藤元雄が主宰する同人雑誌『PURETE』に発表した「マンスフィールド覚書」を読んだ『三田文学』編集長の山川方夫から、人伝に、声をかけられた。一回目はことわったが、再度、原稿を見せて欲しいという誘いがあったため、それには応じることにした。江藤淳は、『三田文学』に対してそれまであまり関心がなかったが、とりあえず銀座にあった『三田文学』編集室を訪ねてみることにし

⬛️山川方夫と江藤淳とサルトル。私が、山川方夫に強い関心をもつようになったのは、江藤淳を読むようになってからだった。江藤淳は、日比谷高校時代の友人安藤元雄が主宰する同人雑誌『PURETE』に発表した「マンスフィールド覚書」を読んだ『三田文学』…

⬛️江藤淳の「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(4)。江藤淳と埴谷雄高-丸山眞男。 江藤淳の「小林秀雄」論の背後には、《 60年安保》があるが、もっと具体的に言えば、埴谷雄高や丸山眞男等がいる。江藤淳は、「小林秀雄」論を連載しながら 、埴谷雄高や丸山眞男等との複雑な関係のなかにいた。特に結婚して、新居をかまえた吉祥寺時代に 、埴谷雄高とは微妙な関係にあった。つまり、江藤淳は、埴谷雄高との親密な《師弟関係 》にあった。埴谷雄高からの思想的影響もかなり受けている。『作家は行動する』における《小林秀雄批

⬛️江藤淳の「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(4)。江藤淳と埴谷雄高-丸山眞男。江藤淳の「小林秀雄」論の背後には、《 60年安保》があるが、もっと具体的に言えば、埴谷雄高や丸山眞男等がいる。江藤淳は、「小林秀雄」論を連載しながら 、埴谷雄高や丸…

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(3)。 江藤淳は、いわゆる《 60年安保 》を、どのように受け止め、どのように対応し、そして、どのように総括してきたのだろうか。江藤淳は、最初から《60年安保 》闘争に批判的だったわけではない。江藤淳もまた、闘争に参加していたのである。前にも述べたように、《 若い日本の会 》は、安保反対の運動を目指す組織だったのだ。しかも江藤淳は、その中心メンバーだった、メンバーの一人一人は 、それぞれ、独自の思想や思惑を持っていただろうが、少なくとも安保反対では一致して

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(3)。江藤淳は、いわゆる《 60年安保 》を、どのように受け止め、どのように対応し、そして、どのように総括してきたのだろうか。江藤淳は、最初から《60年安保 》闘争に批判的だったわけではない。江藤淳もま…

■以下は、在野の民族派右翼の畏友=松本洋三氏のFacebookからのシェアです。鋭い分析です。《 自由民主党はアメリカ合衆国日本総督府だった》と。江藤淳を思い出しました。我が師=江藤淳は米国留学後、プリンストン大学に教員として採用されていましたが、このままではダメになると帰国を決断、帰国後は、《反米愛国 》となりました。孤立を恐れず、《親米保守派(自民党)》とも決別。孤立と孤独の中で 戦死しました。ご参考までに。 ーーーーーーーーーー 自民党末期 後世、今を、自末(自民党末期)と称するか日末(日本末期)と

■以下は、在野の民族派右翼の畏友=松本洋三氏のFacebookからのシェアです。鋭い分析です。《 自由民主党はアメリカ合衆国日本総督府だった》と。江藤淳を思い出しました。我が師=江藤淳は米国留学後、プリンストン大学に教員として採用されていましたが、こ…

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(2)。 ところで、江藤淳が「小林秀雄」論を書いていた時代背景についても、少し考えてみたい。江藤淳も人の子である。時代から超越していたわけではない。江藤淳が「小林秀雄」論を書いていた時代は、いわゆる《60年安保 》の政治的時代であった。江藤淳が、「聲」第6号に 、「小林秀雄」論を連載を始めたのは、1960年1月である。1961年、「聲」休刊のため、続きを、『文学界』に移して、5月号から12月号まで連載する。そして、11月には、講談社から単行本『小林秀雄』を

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(2)。ところで、江藤淳が「小林秀雄」論を書いていた時代背景についても、少し考えてみたい。江藤淳も人の子である。時代から超越していたわけではない。江藤淳が「小林秀雄」論を書いていた時代は、いわゆる《…

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(1)。 江藤淳が「小林秀雄」論を書き始めた頃、小林秀雄は、《戦争協力者》的な扱いを受けて、《 戦争責任 》を追求される側にあった。小林秀雄の戦時中の発言や行動を見るまでもなく、それは当然のことだろう。要するに、この頃、小林秀雄を擁護する人は、ほぼ皆無だった。江藤淳ですら 、その直前まで 、激しく小林秀雄を批判していたのである。江藤淳は、『作家は行動する』という言語論、文体論の書で 、同世代の大江健三郎等を高く評価する一方で、小林秀雄を、守旧派の古い文体の持

⬛️江藤淳「小林秀雄」論を読みながら考えたこと(1)。江藤淳が「小林秀雄」論を書き始めた頃、小林秀雄は、《戦争協力者》的な扱いを受けて、《 戦争責任 》を追求される側にあった。小林秀雄の戦時中の発言や行動を見るまでもなく、それは当然のことだろう。…

■ネットウヨの溜まり場ー《虎ノ門ニュース》が番組打ち切りを発表・・・(笑)だとさ。 残念だな〜。もっと頑張って、もっともっと、恥を晒して欲しかったのに。「 YouTube動画 」業界も、破産寸前のテレビ局の残党が流れ込み、「 YouTube動画 」が通俗化、定番化し、見たくもないクズ番組ばかりになり、寂しくなるねえ。ああ、《虎ノ門ニュース 》の打ち切りの理由ですか。アレでしょうね、アレ。ほら、ツボですよ。金の切れ目が縁の切れ目ってやつでしょうね。 ●●●●●●●● 《 「夕刊フジ」より》 インターネ

■ネットウヨの溜まり場ー《虎ノ門ニュース》が番組打ち切りを発表・・・(笑)だとさ。残念だな〜。もっと頑張って、もっともっと、恥を晒して欲しかったのに。「 YouTube動画 」業界も、破産寸前のテレビ局の残党が流れ込み、「 YouTube動画 」が通俗化、定番化…

■「 YouTube動画 」を配信しました。ーテーマ《 習近平と安倍晋三》です。 https://youtu.be/6pVDKGMKriA ーーーーーーーーーー いつも、ご覧頂きまして、ありがとうございます。 哲学者・文藝評論家=山崎行太郎の反論壇時評チャンネルです。 『《胡錦濤》退場の真相。習近平と安倍晋三の類似性《習近平》も意外に《小心者》ではないのか』を配信しています。是非、ご覧下さい。 ⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩★⇩ https://youtu.be/6pVDKGMKriA

■「 YouTube動画 」を配信しました。ーテーマ《 習近平と安倍晋三》です。https://youtu.be/6pVDKGMKriAーーーーーーーーーーいつも、ご覧頂きまして、ありがとうございます。哲学者・文藝評論家=山崎行太郎の反論壇時評チャンネルです。『《胡錦濤》退場の真…

⬛️山川方夫とサルトル。 (以下は、近刊予定の『山川方夫伝ーあるマイナーポエットの生涯』の序論です。) 私は、高校時代に、それとは知らずに、《山川方夫 》を読んだ。『文学界』という文芸雑誌に掲載された「煙突」という短編小説であった。戦時下、「病弱で孤独な少年」が、古い校舎の屋上で、一人で、壁に向かってキャッチボールをしていると、もう一人のニヒルな少年がやってきて、煙突に登り始める。飛び降り自殺でもするのかと思っていると・・・という小説だった。私は 、元来、読書嫌いの子供だったが、その頃、高校二年か三年の

⬛️山川方夫とサルトル。 (以下は、近刊予定の『山川方夫伝ーあるマイナーポエットの生涯』の序論です。)私は、高校時代に、それとは知らずに、《山川方夫 》を読んだ。『文学界』という文芸雑誌に掲載された「煙突」という短編小説であった。戦時下、「病弱…