⬛️廣松渉とその時代。《疎外論 》から《 物象化論 》へ、あるいは《物的世界観》から《事的世界像》へのゲシュタルト・チェンジ。
私は最初から廣松渉を読んでいたわけではない。小林秀雄や江藤淳、柄谷行人・・・を熟読していた私からみれば、廣松渉のような堅苦しい生硬な文章を書くマルクス主義者が苦手だった。別に、理解できないから苦手だったのではない。私が、廣松渉を読むようになったのは、廣松渉の《カント論》が素晴らしいという話を、大学院時代に聞いたからである。それなら、読んでみようかなと思ったのである。私が、最初に読んだ廣松渉の論文は、カント論ではなく科学哲学論『科学の危機と認識論』( 紀伊国屋新書 1973年 )だった。私が、その科学哲学論にヒントを得て書いたのが、『小林秀雄と理論物理学』という私の実質的処女作だった 。私は、そこで、ニュートン的近代科学とアインシュタイン的相対性理論、ハイゼンベルク的量子物理学の思考法の変化 、その三段階革命論に注目し、それが小林秀雄の批評の原理の誕生と平行関係にあるのではないかと考えたのである。批評家・小林秀雄の誕生とは、《危機 》に直面することであった 。《危機(クリティック) 》の自覚が批評(クリティック)なのである。批評と危機の語源は、同じ《クリティック》である。しかし、廣松渉には、批評の意味がよくわかっていないように見える。廣松渉の思考は、危機=批評を乗り越えて、新しい世界観というイデオロギーを再構築することにあるような気がする。廣松渉の《 物象化論 》、あるいは《事的世界観 》とは
、廣松渉が再構築しようとした新しいイデオロギーに過ぎない。私は、廣松渉の《 物象化論 》や《 事的世界観 》を面白いとは思うが、しかし、そこで、安心して、思考停止する。そこには、残念ながら危機=批評がないからである。人が《考える》のは、危機=批評の場面だけである。