■『江藤淳とその時代』ー江藤淳と大江健三郎の《論争》について《2》。
当時、私は大江健三郎に夢中になっていたから、その大江健三郎が激しく批判され始めているのには、愕然としたが、江藤淳や吉本隆明の大江健三郎批判の文章を読むにつれ、私は、江藤淳や吉本隆明の大江健三郎批判の文章に同意せざるをえなかった。江藤淳の大江健三郎批判はともかくとして、あまりよく知らなかった吉本隆明の大江健三郎批判の文章に出会ったことは、その後の私の人生に、高校時代、はじめて大江健三郎を読んだ時と同様に、大きな衝撃とともに、甚大な影響を受けることになった。大江健三郎への畏怖と愛着は変わらなかったが、上には上がいるものだ、とおもわないわけにはいかなかった。私が、そこで、
遅まきながら理解したのは、私が高校時代、衝撃を受けたのは大江健三郎の《批評精神》であり《批判精神》だったということができる。私は、世間が認めている常識というか、学校の教師や優等生たちを含めて、知識人や文化人が身に纏う左翼的市民主義というものが、つまり戦争反対とか平和主義という《綺麗事》が、小さい頃から嫌いだった。大江健三郎の小説で、私は、それら左翼的市民主義の《綺麗事》への批判と批評をはじめて知った。同じ体験が、《大江健三郎批判》だった。江藤淳と吉本隆明の《大江健三郎批判》には、さらに過激な批判と批評があった。私は、吉本隆明を左翼思想家とは、思っていなかった。私は、左翼も左翼の学生運動家たちも嫌いだったから、吉本隆明を、一個の文芸評論家、あるいは詩人としてしか理解していなかった。私は、江藤淳や吉本隆明の《過激な批判精神》に共感し、感動した。私が 吉本隆明の作品で、最初に読んだのは、たしか復刊されたばかりの『展望 』に掲載された『 戦後世代の政治思想』だったかもしれない。私は、同世代の、あるいはもっと古い世代の人々が、吉本隆明をどういうふうに読んでいるかということにまったく興味なかった。