◼トランプの耳元をかすめて通り過ぎた銃弾が、僕に、忘れていた青春時代の、大事な、貴重な思い出を蘇らせてくれた。
トランプ暗殺未遂事件の映像を何回も見ているうちに、ケネディ暗殺事件とともに、《ものを考える》ことを始めた頃のことを思い出した。高校一年生のことだったような気がする。大江健三郎のことを考えているうちに 、忘れていたが 、その前に、ケネディ暗殺事件を契機に 、ケネディに夢中になって 、ケネディの本を買ったことを思い出した。ケネディの父親の本で 、たしか『我が子ケネディ』とかいう本だった。本を、自分の金で買って、読むようになったのは 、大江健三郎の小説が最初ではなく、ケネディの本が最初だった。その後、ケネディの弟、ロバート・ケネディも、大統領選挙に出ようとして、人混みの中で銃撃を受け、無惨に殺されたことも思い出した。しかし、いずれにしろ、僕は、小さい頃から、天才的な、一流の人間が好きだった。小学校の頃は、長島茂雄や朝潮、力道山に夢中だった。野球や相撲を自分ですることも好きだったが、自分には才能もそれだけの体力もないことに早く気づいて、止めた。次に夢中になれるものを探していたが、自分に相応しいものが、なかなか見つからなかった。特に中学時代は、悲惨だった。夢中になれるものがなかったのだ。音楽の時間に、ベートーヴェンやモーツァルトやショパンなどの天才的作曲家たちの話を聞いて興味を持ったが、音楽の才能がないことは、今さら言うまでもなく、よく知っていた。では、何を。中学を卒業して高校へ進学するころ、僕には何の目標も目的もなかった。僕は、中途半端なものが嫌いだった。医者や弁護士、一流企業・・・そんな通俗的なものが大嫌いだった。不遜にも、もっと、偉大なもの 、あるいは歴史に名を残すようなもっと異質な、もっと重厚な何ものかを、漠然と求めていた。しかし、それが何であるかを、僕は知らなかった。そういう時、ケネディ暗殺事件が起きたのだった。胸騒ぎがした。僕もケネディになりたいと思った。むろん、なれるわけはないことも知っていたが。ケネディに関する本も 何冊か買った。今でも 、田舎の実家(毒蛇山荘)の本棚には残っているはずだ。思えば不思議なもので、僕が本を読むようになったきっかけは、間違いなく 、ケネディ暗殺事件だった。その後に、大江健三郎という作家に出会ったのでああった。トランプの耳元をかすめて通り過ぎた銃弾は、僕に、忘れていた青春時代の、大事な、貴重な思い出を蘇らせてくれた。あの銃弾は、僕の耳元も、耳朶を切り裂くように、通り過ぎたと思う
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