大川周明に『二人の法華経行者ー石原莞爾将軍と北一輝君』という論文というかエッセイがある。最近、友人に教えられて知ったばかりだが、まだ読んでいない。しかし、私は、この論文の題名を聞いただけで、大変興味を持った。大川周明は、石原莞爾か北一輝と、一時は親しくしていたが《 喧嘩別れ》(?)したと書いているらしい。そしてその喧嘩別れの理由として、自分が彼等の思想というか信仰というか、その思想の核心にあるものが、よく理解できなかったからだと書いているらしい。これは重大な証言である。つまり右翼思想とか民族派思想といっても、その思想的核心にあるものは、それぞれ微妙に違うということだろう。たとえば、『二・二六事件』において、同じ法華経信者であったにも関わらず、石原莞爾と北一輝が、まったく立場を異にしている。北一輝が、いわゆる二・二六事件において決起した青年将校たちとともに、首謀者の一人として、死刑(銃殺)になったことはよく知られているが、その時、石原莞爾は、どうしていたのか。実は、石原莞爾は、鎮圧する側にいたのである。要するに、北一輝と石原莞爾は、同じく「法華経行者」でありながら 、二・二六事件においては敵対していたのである。しかし、大川周明は、北一輝と石原莞爾を同じ《 法華経行者》として捉えている。二・二六事件に賛同したか反対したかという《 主義 》の問題よりも、《 信仰 》を重視しているのだ。大川周明は、《 思想 》や《 主義 》よりも、《信仰 》を重視しているのだ。しかも、大川周明は北一輝や石原莞爾の、その法華経という《 信仰 》の実存的意味を 、自分は 理解出来てなかったというわけである。