江藤淳は、『 薔薇の名前』で一世を風靡したイタリアの記号論学者で作家のウンベルト・エーコと対談している。その対談もなかなか面白いのだが、江藤淳は、その対談直後、早稲田大学文学部で、『 文芸随想』と題して講演をおこない、ウンベルト・エーコの話をしているが、それはもっと面白い。そこで、江藤淳は、夏目漱石とウンベルト・エーコを比較しながら、文学にとって、きわめて本質的で重要ななことを語っている。夏目漱石に、学生時代に書いたという『老子の哲学』という小論文あるらしいが、そこで漱石は、ウンベルト・エーコの記号論の対極にあるような《存在》というか《実在》というか、言語以前、記号以前の世界について書いているらしい。《〜らしい》というは、実は、私も、漱石の『 老子の哲学』という小論文を、まだ読んだことがないからである。さて、漱石の代表作で、且つデビューf作の『 吾輩は猫である』の冒頭の文章は、《吾輩は猫である。名前はまだない。》というものだが、江藤淳はこの冒頭の一文にこだわる。