2021-03-12から1日間の記事一覧
存在論としての漱石論(7) 正宗白鳥を援用しつつ、繰り返される江藤淳の日本の近代文学、特に「私小説」に対する批判は鋭く、過激だ。まず、正宗白鳥から。 《明治文学中の懐疑苦悶の影も要するに西洋文学の真似で付焼刃なのではないだろらうか。明治の雰囲気…
存在論としての漱石論(6) (本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代3 』の下書きです。)江藤淳は、吉田健一的な、あるいは西脇順三郎的な、高尚で、高踏的な文学や文学研究を、それが限りなくホンモノに近いにも関わらず、まさにホンモノに近いが故に…