西郷南洲と藤田東湖。
西郷は、安政の大獄の余波で、江戸を追われ、京の勤王僧侶・月照らとともに合流し、薩摩へ逃げ帰るが、薩摩藩も安全ではなかった。幕府の追っ手は、薩摩藩内部にまで伸びてきた。当時の薩摩藩は、藩主・島津斉彬が急死し、藩の実権は、再び、島津斉彬の父で、前藩主・島津斉興の手に移っていた。西郷も月照も邪魔者でしかなかった。まず月照が狙われる。月照の「東目送り」(日向送り)が決まる。薩摩藩においては、東目送りとは、「死」、つまり「処刑」を意味した。逃がすのではなく、藩境で殺すことであった。西郷は、深夜、月照とともに錦江湾に船を出し、日向を目指す。しかし、西郷は、月照を見殺しにするわけにはいかなかった。舟は、深夜の錦江湾を進んで行く。その途中で、西郷は、意を決して、月照を抱きかかえて海に飛び込む。これが、西郷と月照の「心中事件」である。月照は死ぬが、西郷は引き揚げられ 、息を吹き返す。おそらく、西郷も死ぬ気持ちだっただろう。しかし、西郷は、急死に一生を得て、生き返る。今でも、西郷が引き揚げられ、担ぎ込まれ、息をふきかえすまで、看病を受けた民家が残っている。もちろん、月照は、死んだ。月照は死に、西郷は生き返る。