山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2024-01-28から1日間の記事一覧

■昨日は午前中に《丘の上の温泉》に行き、その後、近くのレストランで、300円のザルソバを酒の肴にビールを飲んで 、ひそかに祝盃をあげてきた。帰宅後は、買いたての新鮮な250円のキビナゴで焼酎。最近、キビナゴは、そのまま、丸呑み(丸かじり)するようになったが、これがまた絶品。その後は、炬燵に入りっぱなしで、夜も忘れて爆睡。さー、今日から、連載原稿が二つあるので、(『江藤淳論』と『石原莞爾論』)、《ねじり鉢巻》(笑)で頑張ろう。常時、戦闘モードの《白髪老人》は荒野を目指す。地震がなんだ、津波がなんだ。俺は俺だ

■昨日は午前中に《丘の上の温泉》に行き、その後、近くのレストランで、300円のザルソバを酒の肴にビールを飲んで 、ひそかに祝盃をあげてきた。帰宅後は、買いたての新鮮な250円のキビナゴで焼酎。最近、キビナゴは、そのまま、丸呑み(丸かじり)するように…

■昨日は午前中に《丘の上の温泉》に行き、その後、近くのレストランで、300円のザルソバを酒の肴にビールを飲んで 、ひそかに祝盃をあげてきた。帰宅後は、買いたての新鮮な250円のキビナゴで焼酎。最近、キビナゴは、そのまま、丸呑み(丸かじり)するようになったが、これがまた絶品。その後は、炬燵に入りっぱなしで、夜も忘れて爆睡。さー、今日から、連載原稿が二つあるので、(『江藤淳論』と『石原莞爾論』)、《ねじり鉢巻》(笑)で頑張ろう。常時、戦闘モードの《白髪老人》は荒野を目指す。地震がなんだ、津波がなんだ。俺は俺だ

■昨日は午前中に《丘の上の温泉》に行き、その後、近くのレストランで、300円のザルソバを酒の肴にビールを飲んで 、ひそかに祝盃をあげてきた。帰宅後は、買いたての新鮮な250円のキビナゴで焼酎。最近、キビナゴは、そのまま、丸呑み(丸かじり)するように…

⬛️荒れ果てし廃屋の庭にも花は咲く。 枝垂れ梅に花咲く頃になったようです。我が『毒蛇山荘』の荒れ果てた庭の枝垂れ梅にも、小さな白い花が本格的に咲き始めたようです。書斎の窓から梅の白い花を眺めながら飲む冷たい缶ビールも最高です。枝垂れ梅の木の下には 、多くの『死体』が埋まっているのかも・・・。さて、我が無許可の《古民家哲学カフェ》ですが、先日は、元二階堂進秘書、元鹿児島県会議員のU氏が、まぼろしの銘酒(焼酎)を片手に来てくれました。昼間から呑みはじめ、その後は 夢の中、でした。あとは野となれ山となれ 、で

⬛️荒れ果てし廃屋の庭にも花は咲く。枝垂れ梅に花咲く頃になったようです。我が『毒蛇山荘』の荒れ果てた庭の枝垂れ梅にも、小さな白い花が本格的に咲き始めたようです。書斎の窓から梅の白い花を眺めながら飲む冷たい缶ビールも最高です。枝垂れ梅の木の下…

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑷。 私が石原莞爾に興味を持つにいたったのは、東京裁判臨時法廷におけるその奇抜な言動に接したからではない。また、満洲事変における軍人としての天才的な軍事戦略と大活躍のせいでもない。何回も繰り返すが、《 日蓮 》や《日蓮宗 》について、『世界最終戦争論』の中で、戦争論や戦略論を論じながら、同時に、大真面目に論じているのに感動したからである。石原莞爾は、自分の信じる宗教は《 日蓮宗 》である、自分が死んだら葬式は日蓮宗でやってくれ、などと、

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑷。私が石原莞爾に興味を持つにいたったのは、東京裁判臨時法廷におけるその奇抜な言動に接したからではない。また、満洲事変における軍人としての天才的な軍事戦略と大活躍のせいでもな…

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。 私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、…

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。 私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、…

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑵。 私が、『世界最終戦争論』で、もっとも面白いと思い、思わず引きずり込まれたのは、日蓮や日蓮宗の問題であった。だから、私は、以後、石原莞爾について語る奴が、《 戦争》や《戦略 》のことしか語らず、《 日蓮宗 》を中心に《 宗教 》の話題をスルーしている人を見ると、《 コイツはチャント、『世界最終戦争論』を読んでないな》と思うことにしている。さすがに福田和也は、そこも読んでいるらしいが、しかし私から言わせると、まだ不十分である。通り

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑵。私が、『世界最終戦争論』で、もっとも面白いと思い、思わず引きずり込まれたのは、日蓮や日蓮宗の問題であった。だから、私は、以後、石原莞爾について語る奴が、《 戦争》や《戦略 …

⬛️薩摩半島の限界集落に残る掘立て小屋『毒蛇山荘』で江藤淳を読む・・・『江藤淳とその時代』原稿下書き⑴。 柄谷行人が、『掘立て小屋の思考』という短文のエッセイで、「実存主義」と「実存」を区別して 、自分は、「実存主義」的言葉の使い方が嫌いだ、といっている。つまり「実存」は好きだが「実存主義」的な議論の仕方は嫌いだということである。言い換えると、ヘーゲルは 、壮大な建築を建てたが 、自分自身は、その隣に建つ貧相な「掘立て小屋」に住んでいる、と。そして、ヘーゲルだけではなく、マルクスもニーチェもキルケゴール

⬛️薩摩半島の限界集落に残る掘立て小屋『毒蛇山荘』で江藤淳を読む・・・『江藤淳とその時代』原稿下書き⑴。柄谷行人が、『掘立て小屋の思考』という短文のエッセイで、「実存主義」と「実存」を区別して 、自分は、「実存主義」的言葉の使い方が嫌いだ、と…