山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

江藤淳とその時代(1)ー漱石論をめぐって。


(以下は『月刊日本』連載予定の原稿の下書きです。詳しくは『月刊日本』でお読みくだださい。)

江藤淳とその時代(1)

私が、「江藤淳」という名前を知ったのは、高校時代、初めて、自分の金で 、
文庫本というものを買った時だった。それまで、私には、自分の金で本を買うという習慣はなかった。私は、どちらかと言えば、「読書嫌い」の少年だった。私は、少年時代、一貫して読書嫌いというより、読書や文学趣味的なものを嫌悪し、軽蔑していた。私は、遅ればせながら、高校時代、初めて 「読書」というものに目覚めた。そして初めて文庫本というものを買ったのだ。新潮文庫大江健三郎の初期小説集『 死者の奢り・飼育』がそれだった。何故、大江健三郎だったのかについては、何回も書いたことがあるので、ここでは省くが、その新潮文庫の解説を書いていたのが「江藤淳」だった。しかし、その時は 、それほど深く「江藤淳」という名前に関心を持つことはなかった。私は、その時、大江健三郎の小説に夢中になりかけたばかりで、大江健三郎しか眼中にない状態だったからだ。しかし、今から考えると、私の「大江健三郎狂い」に、さらに刺激を与えたのは、江藤淳の文章の力だったのかもしれない。江藤淳は、解説で、こう書いていた。

大江健三郎という作家を初めて識ったのは、一九五七年の六月頃である。ちょうどそのころ、「文学界」に批評を書きはじめていた私は、ある日、文芸春秋社の地下にある文春クラブで、焦茶の背広をややぎこちなく身につけた色白の少年を見かけた。》(江藤淳『 死者の奢り・飼育』解説より)

私は、それまで、文学や小説というものは、国語の教科書に載っているようなものだと思っていた。つまり、それを書いた作家たちも昔の人であり、既に死んでしまった人だろうと思っていた。しかし、江藤淳は、国語の教科書に載っている無味乾燥な文章とは、その内容も文章も違っていた。私は、その頃、まだ「文体」という言葉すら知らなかった。
この江藤淳の文章が、読書経験の少ない私には新鮮だった。まさに「文章の力」、つまり「文体の力」とでも言うべきものを、初めて感じた。私は、この江藤淳の解説文に導かれるように、さらに大江健三郎熱に取り憑かれていった。江藤淳は続けて、書いていた。

《 ついぞ見かけたことのない特徴のある顔立ちだったが、彼はやがて編集者に軽く会釈すると、こちらには見むきもせず、ひどく癖のある足取りで外に出ていった。あれは誰だときくと、東大新聞の懸賞小説で一等になった大江健三郎という学生だという。大江はそのとき眼鏡をかけていなかった。》

私は、当然の事ながら、江藤淳のこの文章で、「文学界」とか「文芸春秋」とか、「文春クラブ」・・・などというものを初めて知った。ここに描かれている「大江健三郎」は、大江健三郎の小説作品の中から飛び出してきた人物のように、生き生きと描かれている。「東大新聞の懸賞小説で一等になった大江健三郎という学生・・・」「焦茶の背広をややぎこちなく身につけた色白の少年・・・」という江藤淳の言葉は、当時、高校生だった私には、充分に刺激的だった。目の前に作者がいる。私は、小説には 、小説という作品だけではなく、「作者」という具体的な人間がいるのだということを、初めて自覚的に、存在の問題として認識した。つまり「作者」という存在を印象づけられた文章だった。私の文学体験の原体験は、ここから始まったと言っていいかもしれない。私が、それまで、悶々とした内向的な少年時代を過ごしながらも、文学や読書に目覚めることが出来なかったのは、文学作品には 、それを書いた「作者」がいるということを認識出来なかったからだ。私は、この時、初めて、今、ここに、存在し、動いている「作者」というものを知った。作者とは何か。作家とは何か。私は、大江健三郎の小説作品に夢中になると同時に、大江健三郎という「作者」という存在にも夢中になった。たとえば芸能界や芸能人に憧れる少女たちのように、あるいは漫画や漫画家に憧れる漫画少年・少女たちのように、私もまた、芸能人や漫画家や作家に憧れ始めたのだと思う。そして、その憧れの対象は、作品はもちろんだvが、作品以上に、憧れたのは「作者」であり「作家」そのものだった。
江藤淳は、慶應義塾大学の学生だった時、「三田文学」に発表した『夏目漱石論 』で、デビューし、『漱石とその時代 』を書き続ける途中で、亡くなっている。文芸評論家・江藤淳の人生は、夏目漱石で始まり、夏目漱石終わった人生だった。『閉された 言語空間』や『 一九四六年憲法』などに象徴されるような政治評論や戦後史研究などが中心ではなかった。私は、銀座の「三笠会館」で、一度だけ江藤淳と対談(インタビュー)したことがあるが、その時、私が、「政治評論」に言及した時、激しくそれを否定し、「自分の仕事の中心は『文芸評論 』だ」「『政治評論 』は『文芸評論 』の延長だ」「私の『政治評論 』は、新聞社の政治記者上がりの政治評論家の書くものとは違う」・・・と頑強に主張したことを覚えている。あまりにも激しかったので、よく覚えている。その後、中断していた『 漱石とその時代』の続編の連載(「新潮」)が始まった。
現在、江藤淳に関する文章は、「政治評論家」としての江藤淳を論じたものがほとんどである。しかし、私は、そいう政治論的なレベルの江藤淳論や江藤淳研究に、大きな不満を感じている。江藤淳自身が、私に、直接強調したように、江藤淳の本質は、政治論にはない。あくまでも「文芸評論」 、あるいは「文学」、そして「批評」にある。私は、この『江藤淳とその時代 』の連載を始めるに際して、それを確認することから始めたい。

言うまでもなく江藤淳の批評の本質をもっとも鮮明に体現しているのは漱石論である。しかも、江藤淳漱石論は、デビュー作から、一貫して作品論中心ではなく、夏目漱石その人を論じる作家論、作者論、つあり「評伝夏目漱石」が主体であった。誤解を恐れずに言えば、江藤淳漱石論は、作品論ではなく、作者論・作家論であった。
《その晩年のある時期に立って、過去の業績をふり返ってみると、文学史的評価や位置づけなどは児戯に類する一些事のように思われて来る作家がある。彼の生涯の重みが、そのような「人間の作った小刀細工」 を拒否している。たまたま、自分の一生の密かな旋律を、「文学作品」というものの中に歌いこめて来た一人の男がいて、やがて死のうとしていることを考えると、一国の文芸がどうなろうと、その中でこの作家の位置がどうなろうと、そんなことはすべて第二義的な、軽薄な議論に思われて来る。つまり人間の一生などというものはそれほど厳粛なものなので、ぼくらはそんな重苦しいものに向かいあっているのがいやなばかりに、かえってさまざまな小手先の細工を案出するのである。》(『夏目漱石』)
江藤淳漱石論には、漱石論や漱石研究に留まらない危険な魅力がある 。つまり、漱石論ではあるが、同時に江藤淳論であり、江藤淳研究であるという魅力である。江藤淳漱石論で、「自分自身を語っている」。江藤淳漱石論以後、雨後の筍のように量産されるようになった「漱石論」や「漱石研究」がつまらないのは、あくまでも、「漱石論」や「漱石研究」にとどまっているからだろう 。江藤淳漱石論は、その種の「漱石論」や「漱石研究」とは根本的に異なる。
それは、江藤淳漱石論のスタンスそのもの由来している。江藤淳漱石論のスタンスとは、漱石を、作者・漱石を中心に論じていくというスタンスである。それは、同時に、漱石を論じながら、江藤淳という自己自身を論じているというところだ。
たとえば、江藤淳のもう一つの代表作と言ってもいい『 小林秀雄』論で、江藤淳は、こう書いている。
小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではない。しかし、彼以前に自覚的な批評家はいなかった。ここで「自覚的」というのは、批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されているというほどの意味である。》(江藤淳小林秀雄 』)

江藤淳は、『 小林秀雄』論の冒頭で、小林秀雄の「批評」、あるいは「批評家」について、「批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている」と書いている。私は、この江藤淳の文章を呼んで、初めて「批評」、あるいは「批評家」というものについて、考えることが出来るようになった。それまで、私は、「批評」や「批評家」というものを軽く考えていたような気がする。所詮、批評家って、小説家になれなかった文学愛好者がたどる道だろう、ぐらいに。今でも、そう考える人は少なくないと思われる。しかし、私は、この江藤淳の『小林秀雄 』論を読んで以来、「批評家」というものを、小説家や思想家、あるいは哲学者以上に、尊敬・畏怖するようになった。
私の「大江健三郎狂い」が、次第に冷めていったのは、私が、江藤淳を読み、小林秀雄を読み、「批評」や「批評家」という存在の問題に気づき始めた時だった。江藤淳は、23歳ぐらいで、「存在の問題」に、つまり「存在論的危機」という問題に自覚的だった。

スー・チー擁護派のミャンマーの人たち3000人が日本の外務省前でデモ。私は、この種の安全地帯からの抗議デモに、いつも違和感を持つ。


スー・チー擁護派のミャンマーの人たち3000人が日本の外務省前でデモ。私は、この種の安全地帯からの抗議デモに、いつも違和感を持つ。

彼等は、日本在住のミヤンマーの人たちである。彼等が、何かをやりたいという気持ちは分かるが、私は、「いい気なものだなー」と思う。日本在住ということは、どちらかと言うと、ミヤンマーの中でも恵まれた人たちだろう。霞ヶ関の日本の外務省前でデモをしようと、そこで「軍事クーデター」への抗議声明を読みあげようと、私は、共感しない。どう見ても、「命懸けではない」。所詮は「言い訳」に過ぎない。祖国のために何かをやった、という自己満足に過ぎない。本当に軍事クーデターに抗議するなら、祖国に帰国し、身体を張って抗議しろよ、と思う。彼等は、いずれ「軍事政権」と妥協し、「軍事政権」に迎合し、「軍事政権」を擁護する人たちだろう、と私は推察する。この抗議デモ参加者の中の何人の人たちが、アウン・サン・スー・チーを最後まで支持するだろうか。
日本に、軍事クーデターによって軍事政権が成立したとする。その時、欧米先進国在住の日本人たちが、抗議のデモや抗議声明を出すだろう。しかし、その中の何人が、本気だろうか、と私は、考える。同じことだろう。安全地帯でのデモも抗議も、私には、いい気なものだ、という感想しかない。
ミヤンマー抗議デモの写真を見ると、ずいぶん若い女性たちが多いことに気付く。技能実習生か何かで、日本に労働者として来ているのだろうか。あるいは、政府派遣の留学生もいるかもしれない。
「ここがロドスだ、ここで踊れ」という言葉がある。彼等にとって、日本の外務省前は「ロドス」ではない。私は、ミヤンマーの外務省前でのデモのニュースを見ながら、私自身のことを考えていた。

https://jp.sputniknews.com/incidents/202102038125642/

「軍事クーデター」は、無条件に「悪」なのか。「民主主義」や「民主化」は無条件に「善」なのか。日本人が大好きな「明治維新」も軍事クーデターだったのではないのか。「軍事クーデター」という手段を取らざるを得ない国家や国民大衆もいるのではないのか。

「軍事クーデター」は、無条件に「悪」なのか。「民主主義」や「民主化」は無条件に「善」なのか。日本人が大好きな「明治維新」も軍事クーデターだったのではないのか。「軍事クーデター」という手段を取らざるを得ない国家や国民大衆もいるのではないのか。

国際世論における単純なアウン・サン・スー・チー国家顧問・擁護論、礼賛論に、私は、若干の違和感を感じる。「軍事クーデター」は、無条件に「悪」なのか。それは、ギリシャ哲学やキリスト教を泉源とする「民主主義」や「民主化」を金科玉条とする欧米的価値観の押し売りではないのか。仏教やイスラム教の教えに基づく、もう一つ別の政治統治のスタイルがあってもいいのではないのか。私は、パキスタンの「マララ・・・」とかいう少女がノーベル賞を受賞した話を思い出した。私は、欧米マスコミに向けて大口をたたく口達者なマララ女史が嫌いである。「ノーベル賞」に一喜一憂している日本国民を、哀れに思う。ノーベル賞は、欧米的価値観による世界支配の道具ではないのか。マララが、パキスタン国民・大衆・民衆から浮き上がり、英国で暮らさざるを得なくなったのは、当然であろう。マララ女史は、英国や欧米的価値観に阿ることによって、「名誉白人(英国人)」の地位を得たのである。同じように、アウン・サン・スー・チー女史の高慢な態度が、私には、欧米的価値観に阿る「名誉英国人」に見えて仕方がない。勘繰り過ぎかもしれないが欧米的価値観に阿る竹中平蔵や竹中一派の「心性」に通じるものがあるように思う。要する、それは、単純化して言えば、「植民地主義」「ポスト植民地主義」にほかならない。不謹慎かもしれないが、私には、「ロヒンギャ難民」たちの反応が面白い。何故、ロヒンギャ難民は、アウン・サン・スー・チー国家顧問逮捕・拘禁を大歓迎するのか。興味深い問題である。

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【2月2日 AFP】3年前の激しい軍事弾圧で隣国バングラデシュへ逃れたミャンマーイスラム少数民族ロヒンギャ(Rohingya)は1日、アウン・サン・スー・チーAung San Suu Kyi)国家顧問が国軍に拘束されたことを喜んだ。

 国連(UN)がジェノサイド(大量虐殺)の可能性を指摘している2017年8月の軍事弾圧の後、約74万人のロヒンギャミャンマーのラカイン(Rakhine)州からバングラデシュへ向かった。

 当時、ミャンマーの事実上の政権トップだったスー・チー氏は、2019年に行われたロヒンギャに対する強姦や殺人などの残虐行為に関する国際刑事裁判所ICC)の公聴会で、国軍を擁護した。

 スーチー氏拘束の知らせは、現在約100万人のロヒンギャが密集して暮らすバングラデシュの難民キャンプで瞬く間に広まった。

「私たちのすべての苦しみの原因は彼女だ。祝わない理由がない」。世界最大規模の難民キャンプ「クトゥパロン(Kutupalong)」の難民リーダー、ファリド・ウラー(Farid Ullah)さんはAFPに語った。

 近隣のバルカリ(Balukhali)難民キャンプのリーダー、モハマド・ユスフ(Mohammad Yusuf)さんは、「彼女が最後の希望だったのに、私たちの窮状を無視し、ロヒンギャに対するジェノサイドを支持した」と語った。

 ナヤパラ(Nayapara)難民キャンプに暮らすミルザ・ガリブ(Mirza Ghalib)さんは、ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)受賞者のスー・チー氏に「正義の裁き」が下されたと歓迎し、特別な祈りをささげたロヒンギャもいたとAFPに語った。「難民キャンプ当局の許可が出ていたら、何千人ものロヒンギャが(スー・チー氏の拘束を)祝って行進をする姿がみられたはずだ」

 強い影響力を持つ「ロヒンギャ学生連盟(Rohingya Student Union)」の広報を担当するマウン・チョー・ミン(Maung Kyaw Min)氏は、スー・チー氏の拘束を受けて、ロヒンギャミャンマー帰還への期待が高まっていると述べた。

「選挙で選ばれた政府とは異なり、この国軍(の政権)を持続するためには国際的な支援が必要だ。だから、彼らが国際的な圧力を軽減するために、ロヒンギャ問題を重視することを期待している」と語った。(c)AFP

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【解説】ミャンマーで全権掌握、ミン・アウン・フライン国軍総司令官とは? https://www.afpbb.com/articles/-/3329622 @afpbbcomから

ミヤンマーで軍事クーデターか。スー・チー女史が身柄を拘束された模様。アウン・サン・スー・チー国家顧問への評価をめぐって。。

ミヤンマーで軍事クーデターか。スー・チー女史が身柄を拘束された模様。アウン・サン・スー・チー国家顧問の「民主化」を過大評価し、軍事クーデタを非難する国際世論が沸騰しているようだが、私は、必ずしも、アウン・サン・スー・チーを全面的に支持してはいない。軍事クーデタを擁護するつもりもないが、軍部の怒りも、理解できないわけではない。アウン・サン・スー・チー国家顧問は、英国留学中に、英国人と結婚している。ミヤンマーの国民、大衆、庶民層とは、必ずしも利害が一致しているわけではない。今回、クーデターをおこした軍部の方こそ、ミヤンマーの国民、大衆、庶民層の「心」を、つまりミヤンマーの民衆的ナショナリズムの「無意識」を掴んでいる可能性が高い。

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NHKニュース|NHK NEWS WEB
国際

クーデターから一夜 ミャンマー軍 国営テレビで正当性主張
2021年2月2日 12時41分

クーデターから一夜 ミャンマー軍 国営テレビで正当性主張

ミャンマーのクーデターから一夜明けた2日、軍は国営テレビを通じて、すでに出した声明などを伝え、今回の行動の正当性を繰り返し主張しています。最大都市ヤンゴンでは、空港や政府施設に軍や警察が配置され、緊張が続いています。

ミャンマーでは1日、軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか与党の幹部を相次いで拘束するとともに、期間を1年間とする非常事態宣言を出して、軍トップのミン・アウン・フライン司令官のもとクーデターによって全権を掌握しました。スー・チー氏などの現在の状況はわかっていません。

クーデターから一夜明けた2日、一部の民間放送局は放送の停止が続いている一方、国営テレビは軍が運営するテレビ局と同じ内容を放送しています。
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公明党・遠山清彦議員が「銀座豪遊」発覚で議員辞職。・・・自民党の松本純議員等は離党。

公明党遠山清彦議員が「銀座豪遊」発覚で議員辞職。・・・スガは派閥を持たないが、しかし公明党と維新が、スガの派閥だ、と竹中一派(高橋洋一と原英史?)が言っていたが・・・。いよいよ、スガ政権の尻にも火がついたか。スガ政権崩壊は目前。自民党松本純はどうするのだろうか。役職辞任でお茶を濁して終わしたりしてりか。松本純が「議員辞職」する前に、スガ首相が辞任かも・・・。

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【速報】(時事通信)
公明党の遠山幹事長代理がキャバクラなどの飲食費を政治資金から支出していたことが分かり、謝罪した https://t.co/PZVtYgzOBL

【速報】 自民党松本純田野瀬太道大塚高司3氏が離党届を提出した。

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(NHK)
公明 遠山衆議院議員 議員辞職願提出「政治への信頼傷つけた」
2021年2月1日 14時32分

公明党遠山清彦衆議院議員は、緊急事態宣言が続く中、銀座のクラブを訪れていたことなどが明らかになったのを受けて議員辞職願を提出し、記者団に「極めて不適切な行動で、政治への信頼を深く傷つけてしまった」と陳謝しました。
公明党遠山清彦衆議院議員は、先月、緊急事態宣言が続く中で、銀座のクラブを深夜まで訪れていたことや、みずからの資金管理団体がキャバクラ店などに支出していたことが明らかになったのを受けて、1日午前大島衆議院議長あてに議員辞職願を提出しました。

このあと遠山氏は、国会内で記者団に対し「極めて不適切な行動と、資金管理団体の過去の不祥事で、国民の政治への信頼を深く傷つけてしまった。改めて心からおわびしたい」と陳謝しました。

そして「先週、党の幹事長代理の役職を辞任したが、週末に熟慮した結果、潔く議員辞職すべきだと決意した」と述べたうえで、次の衆議院選挙には立候補しない意向を明らかにしました。

遠山氏の辞職は、近く衆議院本会議で認められる見通しで、辞職が認められれば比例代表・九州ブロックの公明党の名簿から、落選した候補者が繰り上げ当選する見通しです。

■公明 山口代表「信頼回復に尽力」
公明党の山口代表は国会内で記者団に対し「国民の皆さんに強い政治不信をもたらしてしまい、党を代表して深くおわび申し上げる。党が一丸となり信頼回復に尽力していきたい。政権運営への影響を最小限に食い止められるよう、最大の努力をしていきたい」と述べました。
加藤官房長官「議員には宣言踏まえた対応求められる」

■加藤官房長官は午前の記者会見で「公明党遠山清彦衆議院議員議員辞職の意向を固めたという報道は承知している。政治家の出処進退は、本人が判断するべきものだ。個々の点についてはコメントを差し控えたい」と述べました。

そのうえで「現在、緊急事態宣言のもと、飲食による感染リスクを抑えるために飲食店の営業時間の短縮や不要不急の外出・移動の自粛の徹底をお願いしている。いろいろと負担もあるなか、国民には要請の協力をしてもらっている。私ども議員、国政を担う者としては、それを踏まえて、しっかりと対応していくことが当然求められる」と述べました。

■立民 安住国対委員長「与党議員のおごり」
立憲民主党の安住国会対策委員長は、記者団に対し「当初はおわびだけで、批判を受けたら党の幹事長代理を辞任し、さらに世論の批判を受けたら議員辞職となった。結局、公明党として自浄作用を働かせたのではなく、世論に追い詰められる形で辞任、辞職ということになった印象は拭えず、与党議員のおごりが見え隠れしている一例だ」と述べました。
国民 玉木代表「議員辞職 重く受け止めたい」

■国民民主党の玉木代表は記者団に対し「議員の地位をみずから辞するというのは重大な決断で、重く受け止めたい。国民の政治に対する不信を招かないよう、われわれ野党も注意しなければならないし、特に政府・与党側には、国民に対策をお願いしている立場として十分気をつけてもらいたい」と述べました。

https://www3-nhk-or-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210201/amp/k10012843121000.html?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16121565545270&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fhtml%2F20210201%2Fk10012843121000.html

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■小沢一郎を先頭に 、「ヴゥ・ナロード」(民衆の中へ!)の政治哲学で政権交代を実現せよ。

小沢一郎を先頭に 、「ヴゥ・ナロード」(民衆の中へ!)の政治哲学で政権交代を実現せよ。

今日(2021/1/30)は、午後二時から、「小沢一郎議員を支援する会」(弁護士・伊東章会長)の「ZOOMシンポジウム」(豊島区民センター)が、行われました。白井聡先生の「ZOOM講演」と、小沢一郎議員の挨拶(ビデオメッセージ)、森ゆうこ参議院議員の「ZOOM挨拶」、辻恵衆議院議員の挨拶、そして私も、最後に、ゲストスピーカーとして、「ZOOM」で登場させてもらいました。私は、来たるべき選挙では、「政権交代」に向けて、「小沢一郎を先頭に立てて、戦え」「策士=小沢一郎なら『 政権交代』も実現出来る」「野党の議員は、山本太郎のように『地方遊説』と『 ドサ回り』(小沢一郎式「川上戦略」)から始めよ」「国会論戦とテレビ出演だけでは、野党の支持率は落ちるだけだ」「日本国民、一般大衆、民衆を畏れよ」・・・と主張しました。
今回の「ZOOMシンポジウム」は、前もって、このFacebookTwitterなどでも「告知」すべきかとも思いましたが、「コロナ禍」の「緊急事態宣言」中ということもあり、諸般の事情を踏まえ、遠慮しました。主催者側スタッフによると、今回の経験を踏まえ、また二回目、三回目とやっていくそうです。というわけで、次回から、「告知」します。なお、JWA(岩上安身)とかいうネット放送局によって、「Youtube動画」か「TwitCasting
」で、実況中継されたようです。参加人数も、80名を超えたようです。大成功。次回が楽しみ。






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高橋洋一と原英史は、「ネット右翼」界隈では「天才」ということになっているらしい。いやー、恐れ入りましたネ。こうい「俗物たち」を「天才」と崇・・・

高橋洋一,原英史共著『ハジノミクス 』(笑)を読む。日本国民大衆による「竹中平蔵バッシング」が日本を救う。(3 )

高橋洋一と原英史は、「ネット右翼」界隈では「天才」ということになっているらしい。いやー、恐れ入りましたネ。こうい「俗物たち」を「天才」と崇める日本人がいるとは、恐れ入りました。天才も、だいぶ通俗化し、俗物化したものである。そもそも、「天才」(笑)は、こういう「通俗本」(『スガノミクス 』)は書かないだろう。