『江藤淳とその時代 』(3)のためのメモ。
私は、私の言論表現活動の基本原理として、かねてから、「イデオロギーから存在論へ」をモットーにして、表現活動に従事してきたが、その原理・原則を、誰から学んだのかといえば、実は、江藤淳からであった。江藤淳の漱石論をよむと、それがよく分かる。江藤淳の漱石論の特徴は、漱石の思想や思考をあまり重視しないところにある。たとえば、江藤淳は、漱石の専売特許といってもいい「則天去私」の思想を重視しない。多くの漱石研究者が重視する「漱石神話」としての「則天去私」について、江藤淳は、こう書いている。
《 最も熱心な「則天去私」の祖述者の一人である小宮豊隆氏の「夏目漱石」も、同様の結果を招いた書物だといわざるを得ない。この評伝は漱石評伝の 決定版であって、その精緻な考証は尊敬に値するがいささか迷惑なのは氏が、このおびただしい貴重な事実を、「則天去私」の悟達を導き出すために、整然と合理的に配列しようとしたことである。伝記作者達が共通に感じるこの誘惑に、小宮氏もまたおちいっている・・・。》
「則天去私」は、漱石のふと漏らした思想であり、信念であり、目標であったかもしれない。無論、それは、漱石そのものではない。漱石は、思想とは別のところにいる。漱石が、思想や理想を語ったとしても、それを漱石と同一化することは出来ない。しかし、弟子たちにとっては、漱石の思想・・・が、漱石そのものだった。江藤淳は、そういう誤解が発生した原因は、漱石自身にもあったという。
《 漱石の最初の職業は学校教師であった。彼と門弟達の間では、このことが決定的な意味を持ってしまったので、漱石が職業作家になった後でも、門弟達には
どこかしら教師臭 さの抜けない人間の残像がこびりついていたのである。弟子にむかって「則天去私」などといえば崇高らしくきこえるだけの術は、漱石の方でも充分に備えていて、それをかなり積極的に利用した形跡もないではない。》