■『江藤淳とその時代 』( 『月刊日本』連載原稿の下書きです。)
江藤淳は、華々しい活躍の足跡を残した日比谷高校時代について、ほとんど書き残していない。その代わり、ほぼ同時代のことであるが、北区十条時代の病苦と貧乏の「惨めな私生活」については、かなり詳しく書き残している。日比谷高校時代が「表の顔」だとすれば、北区十条仲原時代の「私生活」は「裏の顔」にあたるだろう。江藤淳を読んだことのある人なら、「自慢話」の好きな江藤淳は、日比谷高校時代の数々のエピソードを、これでもかこれでもかと、書き残していると思うかもしれない。そして自慢話にならない北区十条時代の貧乏生活については、黙っていたはずだ、と。そう考えるのが普通だろう。しかし 、江藤淳はそうしなかった。江藤淳は、自慢話より、自慢にならない北区十条時代の私生活を、かなり執拗に、しかも深い思いを込めつつ、書き残している。何故か。おそらくここには、文学者=江藤淳の文学的本質が隠されている。江藤淳的批評の本質とは、「言いたいことを言い、書きたいことを書く〜」という単純素朴なことだった。しかし、江藤淳の場合、もっと大事なことは、それを、誰に遠慮することもなく、大胆不敵に、実行 、実践したことである。江藤淳に「敵」が多かったのは、そこに原因があるが、逆に見れば、そこに、江藤淳の江藤淳たる最大の魅力があった。
江藤淳は、「文学」について、こう書いている。
《 逆に文学とは、決して権力構造にはなり得ないものである。そこでは文章が、作品がすべてであり、それを支える個々人の肉声以外の権威はあり得ない。身内から衝き上げて来るこの生身の肉声を、文学に定着したいという衝動がうずきつづけるかぎり、文学に関わる者は、”排除”されようが、孤立しあるいは追放されようが、ましてその所信を検閲によって黙殺され、世間の眼から隠蔽されようが、やはり孜孜として書きつづけなければならない。》( 江藤淳『 ペンの政治学』)
「 個々人の肉声」とか「身内から衝き上げて来るこの生身の肉声 」・・・というような言葉に注目したい。単純素朴な言葉で、誤解を招きそうな言葉だが、江藤淳にとっては、これが、江藤淳的批評の本質を語る言葉だと言っていいい。