安倍元首相銃弾テロ事件に接して、私が、すぐ思い出したのは、高校一年頃、見聞したケネディ米国大統領の暗殺事件と、大学院の頃、見聞したロッド空港銃乱射事件だった。私は、二つのテロ事件に、思想的に深い衝撃と影響を受けた。私の思考と哲学の原点には、テロ事件がある。ドストエフスキーの『罪と罰』はテロリスト小説である。主人公ラスコーリニコフは、《俺にはアレが出来るだろうか 》と問い詰めた結果 、テロ事件を実行する・・・という小説だ。民主主義に限らず、政治にも哲学にも文学にも 、テロ事件はつきものだ。だから、私は、今回の安倍元首相を襲ったテロ事件に接しても、《 民主主義への挑戦 》だか《 民主主義の破壊》だとか《 民主主義の冒涜 》だとかとは、まった思わない。むしろ、《 民主主義の蘇生 》《 民主主義の活性化 》の瞬間だったと思う。民主主義とは 恐ろしいものである。テロや暴力とは無縁ではない。民主主義の根幹にはテロと暴力がある。こういう時に、政治家や思想家や言論人、学者たちの、日頃の思想的訓練と思想的鍛錬が、試される。平和ボケの馬鹿は、さっさと消えろ。安倍の悲劇は、取り巻きやブレーンに、桜井よしこや百田尚樹・・・のような三流の言論人や文学者しか、いなかったことだ。私も、何を勘違いしたのlか、安倍側近の某氏から、第二次安倍政権のスタートの頃、誘われたことがある。私は、思想的には《 保守 》だが、「 小沢一郎の支持者です 」と言って断ったことがある。繰り返して言うが、安倍の悲劇は、相談相手やブレーンに、桜井よしこや百田尚樹・・・のような三流の馬鹿しかいなかったことである。身から出た錆とはいえ、気の毒である。
■山崎行太郎「 YouTube動画 」チャンネル。
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