山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■薩摩半島の山奥の毒蛇山荘で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑴。 私は、本を読む時は、原則として《原典》を読み、しかも何回も読み返すという方法をとっている。それは、私が、読書を通じて頭を鍛える方法でもある。過激な深い思考を身につけるにはそれしかない。したがって、私は多読ではない。あれもこれもという読書家ではない。私は、昔から、読書家を軽蔑していた。私は、子供の頃、《考える少年 》ではあったが、《 本を読む少年 》ではなかった。私には、読んでいない本がたくさん、ある。知識や雑学の量を増やしていくだけの読

薩摩半島の山奥の毒蛇山荘で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑴。

私は、本を読む時は、原則として《原典》を読み、しかも何回も読み返すという方法をとっている。それは、私が、読書を通じて頭を鍛える方法でもある。過激な深い思考を身につけるにはそれしかない。したがって、私は多読ではない。あれもこれもという読書家ではない。私は、昔から、読書家を軽蔑していた。私は、子供の頃、《考える少年 》ではあったが、《 本を読む少年 》ではなかった。私には、読んでいない本がたくさん、ある。知識や雑学の量を増やしていくだけの読み方に、私は反対である。もちろん読む価値がないと思った本は、最初から、《 原典 》であろうとなんであろうと読まない。つまり参考文献や研究書の類もあまり読まない。例えば、ニーチェドストエフスキーを読む時、ニーチェドストエフスキーの解説書や研究書や入門書は読まない。カネの無駄だけではなく、時間の無駄である 。解説書や研究書や入門書を読むと、しばしば不愉快になる。私自身が理解するニーチェドストエフスキーとは違うことを確認して、後悔することになるだけだからだ。むろん例外がないわけではないが、原則は原則だ。名著と言われるよな本は、特に、私は《 原典 》にこだわる。石原莞爾の場合もそうだった。私は、以前から、石原莞爾の『世界最終戦争論』は知っていたが、読むチャンスがなかった。読んでみたいとは思っていたが、読まなければならないとは思わなかったのだ。石原莞爾の話を聞くたびに、私は、《 フーン》と思っていた。私が、石原莞爾を読みたいと思ったのは、若い友人で、『維新と興亜』の編集長の坪内隆彦氏の、《 王道アジア主義 》の思想家としての石原莞爾を論じた『 石原莞爾論』を読んだ時である。私は、この時、強烈に、石原莞爾の古典的名著『世界最終戦争論』を読みたいと思った。そして、文庫本を手に入れて、読んでみた。予想通り、私にとって、大事な、貴重な本だった。
ところで、私は、今 、福田和也氏の石原莞爾伝とも言うべき『地ひらくー石原莞爾と昭和の夢 』という文春文庫で二冊の大著を読んでいる。一応、『石原莞爾とその時代 』を連載するにあたって、参考資料になるだろうと思って買い求めたが、しかし今日まで読まずに本棚にしまい込んでいた本である。私が、今、読んでいるのは、前後二冊の文庫本のうちの後半の部分である。そこには、石原莞爾の最晩年の大事件である《東京裁判》や《西山農園》のことが描かれている。