山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2021-06-02から1日間の記事一覧

■(続々々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。) 本稿の最初の問題に戻る。私は、西郷南洲が、藩主・島津斉彬に随行して、初めて江戸の薩摩屋敷へやって来た時、そこでの最初の思想的体験は、藤田東湖を知ったことだった 、と書いた。その時、 西郷南洲は、藤田東湖の中に何を見、何に感動し、何を畏怖するようになったのだろうか。藤田東湖の説く「尊皇攘夷論」だったろうか。おそらくそうだっただろう。しかし、 私は、それだけではなかったのではないか、と思う。西郷南洲と藤田東湖が、年の差を超え

■(続々々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。)本稿の最初の問題に戻る。私は、西郷南洲が、藩主・島津斉彬に随行して、初めて江戸の薩摩屋敷へやって来た時、そこでの最初の思想的体験は、藤田東湖を知ったことだった 、と書…

■(続々々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。) 本稿の最初の問題に戻る。私は、西郷南洲が、藩主・島津斉彬に随行して、初めて江戸の薩摩屋敷へやって来た時、そこでの最初の思想的体験は、藤田東湖を知ったことだった 、と書いた。その時、 西郷南洲は、藤田東湖の中に何を見、何に感動し、何を畏怖するようになったのだろうか。藤田東湖の説く「尊皇攘夷論」だったろうか。おそらくそうだっただろう。しかし、 私は、それだけではなかったのではないか、と思う。西郷南洲と藤田東湖が、年の差を超え

■(続々々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。)本稿の最初の問題に戻る。私は、西郷南洲が、藩主・島津斉彬に随行して、初めて江戸の薩摩屋敷へやって来た時、そこでの最初の思想的体験は、藤田東湖を知ったことだった 、と書…

■(続々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。) 昨夜、NHKのニュースを見たあと、うたた寝をしていると、何やら怪しい声が聞こえてきた。寝ぼけ眼で 、見ていると、若い武士たちが、騒いでいる。私が、普段、よく見る夜明けの前の「暴れん坊将軍」と明らかに違う。しばらくみていて気づいた。NHKの大河ドラマのようだ。ああ、これが渋沢栄一のドラマか、と気づいたので、馬鹿馬鹿しいと思って消そうと思ったが、ちょっと気になったので、はなしのネタにでもと思って 、ついつい見てしまった。私は、

■(続々々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。)昨夜、NHKのニュースを見たあと、うたた寝をしていると、何やら怪しい声が聞こえてきた。寝ぼけ眼で 、見ていると、若い武士たちが、騒いでいる。私が、普段、よく見る夜明けの…

■(続々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。) 「思想を生きる」とか「生きられた思想」という言葉が 、私は、好きだ。言葉というより、私はそういう生き方を、自分の思想信条にしている。私が、水戸学や水戸学派に関心を持つのは、「尊皇攘夷論」と言われる水戸学の思想なるものが、まさしく「生きられた思想」であり「生きられた学問」だと思うからだ。水戸学の思想は、「思想のための思想」でも「学問のための学問」でも「理論のための理論」でもなく、「生きられた思想」であり、「生きられた学問」であ

■(続々)藤田東湖と西郷南洲(4)(本稿は『維新と興亜 』のための草稿です。)「思想を生きる」とか「生きられた思想」という言葉が 、私は、好きだ。言葉というより、私はそういう生き方を、自分の思想信条にしている。私が、水戸学や水戸学派に関心を持つのは…