山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2023-02-19から1日間の記事一覧

■いま、何故、家康なのか?(2) 私は、岳真也の『家康と信康』を、当初は 、まさかとは思ったが、《家康ブーム 》とか《 家康イヤー 》に便乗した読み物だろうと想像しながら読み始めた。第一ページ目の冒頭の一文を読んで、私の予想は外れたと思った。そこには、並の《家康物語》とは異なる風景が描かれていた。《夢 》の描写である。関ヶ原の戦場で、60歳の家康は、夢の中を彷徨っている。そこに登場するのは『 信康』と『 築山殿』である。とうの昔に亡くなっている。信康とは家康の長男であり、築山とは、家康の正室であり、信康

■今週のお題「行きたい国・行った国」いま、何故、家康なのか?(2)私は、岳真也の『家康と信康』を、当初は 、まさかとは思ったが、《家康ブーム 》とか《 家康イヤー 》に便乗した読み物だろうと想像しながら読み始めた。第一ページ目の冒頭の一文を読んで、…

■いま、なぜ、「家康 」なのか? 私はほとんどテレビは見ない。見るとすれば、ニュースと天気予報ぐらいだろうか。だから、NHKの『 大河ドラマ』なるものも見ない。見ると、不愉快になるだけだからだ。今年の大河ドラマは「家康 」だそうである。私は見ていない。何故見ないのか。私は、メロドラマが嫌いなのだ。いわゆる大衆娯楽小説的な通俗読み物が嫌いなのである。だから漫画なるものも嫌いだった。そもそも私は《読書》が嫌いだった。《図書館》も嫌いだった。私が読書に目覚めのは高校二年生ぐらいになってからである。私は、大江健

■いま、なぜ、「家康 」なのか?私はほとんどテレビは見ない。見るとすれば、ニュースと天気予報ぐらいだろうか。だから、NHKの『 大河ドラマ』なるものも見ない。見ると、不愉快になるだけだからだ。今年の大河ドラマは「家康 」だそうである。私は見ていない…

■岳真也と私と三田文学(2)。 私と三田文学の関わりは、それからしばらくたって 、高橋昌男編集長のもとで三田文学が 復刊された時だった。その頃、三田文学は長く休刊状態だった。それを心配した大学当局(石川忠雄塾長?.)が動いて復刊の動きが始まったらしい。それまでは、学生内部に復刊の熱意が感じられない限り、復刊しても無駄だろうというのが大勢だったらしい。ともあれ、経緯はどうであれ、復刊がきまり、動き出したことを知った私は、すぐに行動した。私は、新・編集長に決まった作家の高橋昌男さんの名前は知っていたが、面識

■岳真也と私と三田文学(2)。私と三田文学の関わりは、それからしばらくたって 、高橋昌男編集長のもとで三田文学が 復刊された時だった。その頃、三田文学は長く休刊状態だった。それを心配した大学当局(石川忠雄塾長?.)が動いて復刊の動きが始まったらしい…

■岳真也と私と三田文学。 岳真也と私は、慶應義塾大学の同級生である。入学も卒業も大学院も。しかし、学生時代は面識は、まったくなかった。私が、岳真也に出会ったのは卒業後である。私が、新宿区山吹町にあった岳真也の事務所兼自宅マンションを訪ねていったのである。そこは新潮社の横か前か裏か分からないが、いづれにしろ新潮社の近くだった。岳真也は、その頃『蒼い共和国』という派手な同人雑誌をやっていた。私は、その『編集後記』を見て、当時、行き場をなくしていた私は、《一縷の望み》をかけて岳真也の事務所を訪ねたのであった。

■岳真也と私と三田文学。岳真也と私は、慶應義塾大学の同級生である。入学も卒業も大学院も。しかし、学生時代は面識は、まったくなかった。私が、岳真也に出会ったのは卒業後である。私が、新宿区山吹町にあった岳真也の事務所兼自宅マンションを訪ねていっ…