山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■いま、なぜ、「家康 」なのか? 私はほとんどテレビは見ない。見るとすれば、ニュースと天気予報ぐらいだろうか。だから、NHKの『 大河ドラマ』なるものも見ない。見ると、不愉快になるだけだからだ。今年の大河ドラマは「家康 」だそうである。私は見ていない。何故見ないのか。私は、メロドラマが嫌いなのだ。いわゆる大衆娯楽小説的な通俗読み物が嫌いなのである。だから漫画なるものも嫌いだった。そもそも私は《読書》が嫌いだった。《図書館》も嫌いだった。私が読書に目覚めのは高校二年生ぐらいになってからである。私は、大江健

■いま、なぜ、「家康 」なのか?

私はほとんどテレビは見ない。見るとすれば、ニュースと天気予報ぐらいだろうか。だから、NHKの『 大河ドラマ』なるものも見ない。見ると、不愉快になるだけだからだ。今年の大河ドラマは「家康 」だそうである。私は見ていない。何故見ないのか。私は、メロドラマが嫌いなのだ。いわゆる大衆娯楽小説的な通俗読み物が嫌いなのである。だから漫画なるものも嫌いだった。そもそも私は《読書》が嫌いだった。《図書館》も嫌いだった。私が読書に目覚めのは高校二年生ぐらいになってからである。私は、大江健三郎の初期小説を読んで、《小説 》とか《文学》というものを知った。大江健三郎の小説は、私に、《批評》というものの存在を教えてくれた。
友人の作家・岳真也氏から新著が贈られてきた。『 家康と信康ー父と子の絆』(河出書房新社)というものだ。また「家康 」かと思ったが、「信康 」とか「父と子の絆」という文字が、目に飛び込んできた。岳真也氏は、昨年、『翔』という私小説を出版している。近来、稀に見る傑作であった。次男の「翔 」君が、精神的病にかかり、入退院を繰り返し、引きこもりになったあげく、最終的には病院で自殺するという話であった。しかも、その話を父の立場から、父の目線で書いていた。小林秀雄に《子を失った母親の哀しみ 》について書いた文章があるが、岳真也氏の小説は、《 子を失った父親の哀しみ 》を綴ったものだった。《この哀しみ》は、岳真也以外の誰にも分からない。同情したり、慰めてあげることは、他人にもできるだろう。しかし、《 子を失った父親の哀しみ 》は、岳真也だけにしか分からない。他人と共有できる《哀しみ》ではない。ここには、厳しい《批評性 》がある。この《批評性 》が、メロドラマと小説を分かつものだ。
岳真也歴史小説『 家康と信康』も、《子を失った父親の哀しみ》を描く小説である。ということは、岳真也私小説『 翔』と歴史小説『家康と信康 』は、同じテーマを描く小説だということだ。
家康は 、長男の信康を、20歳の若さで《切腹》させている。この悲痛なl《切腹事件》から、家康の《 天下取り》の物語は始まるのかもしれない。