山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(1)。 知らない人は不思議に思うかもしれないが、呉座勇一に関しては、私は、野次馬的興味もないわけではないが、かなり真剣に、拘っている。私は、最近、「歴史」という問題に、関心を持っている。私は、これまで、「文学」や「哲学」、あるいは「政治」などには、関心を持ってきたが、正直のところ「歴史」には、さほど興味がなかった。私が、最近、「歴史」に関心と興味を持つようになったのには思想的理由がある。私は、NHKの歴史大河ドラマは、昔からほとんど見ていないが、たまた

私が『呉座勇一問題 』に拘る個人的理由と思想的根拠(1)。

知らない人は不思議に思うかもしれないが、呉座勇一に関しては、私は、野次馬的興味もないわけではないが、かなり真剣に、拘っている。私は、最近、「歴史」という問題に、関心を持っている。私は、これまで、「文学」や「哲学」、あるいは「政治」などには、関心を持ってきたが、正直のところ「歴史」には、さほど興味がなかった。私が、最近、「歴史」に関心と興味を持つようになったのには思想的理由がある。私は、NHKの歴史大河ドラマは、昔からほとんど見ていないが、たまたま、2、3年前、西郷南洲をメインテーマにした『 西郷どん(セゴドン)』が放映された時、主な舞台や主人公が、自分の郷里や郷里の出身者たちでもあり、またNHKドラマ『 西郷どん(セゴドン)』の「時代考証」を担当した原口泉(鹿児島大学名誉教授)が、高校時代のクラスメートでもあったことなどから、興味を持って見ることにした。しかし、『 西郷どん (セゴドン) 』は、第一回目から、林真理子原作で、原作自体がいい加減なもので、放映されたドラマも期待はずれだった。その上、時代考証なども、かなり粗雑なものだった。西郷南洲が、殿様(島津斉彬)と相撲をとったり、西郷南洲篤姫が恋愛感情をもっていたり 、錦江湾に飛び込んで心中事件を引き起こした西郷南洲月照が「ボーイズラブ」だったりとか・・・。面白おかしく仕立てられた漫画チックな「ファンタジーノベル」か「ライトノベル」でしかなかった。違和感どころか、不愉快になり 、怒りさえ感じ始めたので、精神衛生上良くないので、後は見なかった。違和感や怒りを感じたのは私だけではなかったようで、「時代考証」担当の原口泉に問い詰める人もいたらしい。驚くべきことに、原口泉の答えは、「アレはドラマですから・・・」というものだったらしい。原口泉は、鹿児島では、NHKテレビに頻繁に登場することもあって、芸能人なみに「超有名人」(笑)らしく、講演会や各種のイベントなどに「引っ張りだこ」のようだが、専門のはずの歴史研究や時代考証の方は、おざなりらしい。私は、同級生の悪口は、これ以上、言いたくないので、やめるが、南洲墓地の横に「大久保利通記念碑」を建てるなど、「東京大学歴史学科卒」「国立大学教授」というような学歴や職歴を利用して、他にもいろいろ問題や騒動をしでかしているようなのだ。西郷南洲の縁戚の人間で、NHKドラマにも協力し、かたわら西郷南洲関係の歴史研究を続けている「某氏」などは、原口泉の「西郷南洲研究」を、目の仇にしている・・・という具合だ。というわけで、私は、突然、「歴史」や「歴史学」、あるいは「歴史哲学」「時代考証」「史料分析」・・・というものに思想的関心を持つようになった。ところで、たまたま、その頃、私の視界に、「呉座勇一」という名前の歴史研究者が、飛び込んで来たのである。それは、井沢元彦や八幡和郎らと、ネット上で、「歴史」や「歴史研究」、あるいは「資料」「文学」「アカデミズムと在野」・・・などをめぐって、論争している呉座勇一であった。私は、面白かったので、しばらく静観していたが、次第に、私自身の問題関心にも、かなり強い刺激を与えるものだったので、その論争に、野次馬的に、横から介入していったのである。呉座勇一は、そこで、作家や評論家の「歴史研究」を 、「在野の素人の歴史研究」と位置づけ、「われわれ(呉座勇一等)、官学アカデミズムに属する歴史研究者だけが、正式の歴史研者である」、「ド素人は黙っていろ」というような暴論と暴言を吐きまくっていたので、これは、黙っているわけにはいかない、と、不肖、私、山崎行太郎大先生(笑)が、満を持して、立ち上がったわけである。そして、例によって、例のごとく、ネット上で、執拗に「呉座勇一批判」を繰り返したのである。すると 、ある日、とつぜん、呉座勇一の「子分」(笑)と思しきチンケな野郎(生駒哲郎 、
「日本史史料研究」会長?)からチンケなメールが届いた。「呉座勇一批判はやめろ」「呉座勇一先生に謝罪しろ」「謝罪文は以下( 謝罪文) にしろ」「この警告メールを無視したら 、とんでもないことになるぞ」・・・というような恐喝メールだった。笑った 、笑った、笑った。今どき、こんな大バカ野郎が、この日本に棲息しているとは・・・。世間知らずにもほどがある。何を考えて歴史研究をやっているんだろう 、コイツらは・・・。これが「官学アカデミズム」の実態なのか・・・。子どものチャンバラごっこのような、そのチンケな警告を、当然、私は無視した。その後、どうなったか。続きは次回に。