山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

2023-08-10から1日間の記事一覧

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。 古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖父ということになる。 共に海軍軍人であった。江藤淳は、江藤家(江頭家)という海軍軍人一族の没落と《日本の敗戦》、つまり《 日本の没落 》を、『 一族再会』で、重ねて、重層的に描いている。つまり、江藤家(江頭家)の没落が日本の敗戦を象徴しているかのように描

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖…

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。 古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖父ということになる。 共に海軍軍人であった。江藤淳は、江藤家(江頭家)という海軍軍人一族の没落と《日本の敗戦》、つまり《 日本の没落 》を、『 一族再会』で、重ねて、重層的に描いている。つまり、江藤家(江頭家)の没落が日本の敗戦を象徴しているかのように描

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖…

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。 古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖父ということになる。 共に海軍軍人であった。江藤淳は、江藤家(江頭家)という海軍軍人一族の没落と《日本の敗戦》、つまり《 日本の没落 》を、『 一族再会』で、重ねて、重層的に描いている。つまり、江藤家(江頭家)の没落が日本の敗戦を象徴しているかのように描

■江藤淳の『 一族再会』を読む(2)。~古賀喜三郎と江頭安太郎と 、もう一人の祖父・宮治民三郎。古賀喜三郎とは祖母の《父》であり、江頭安太郎とは江藤淳の父の《父》であり、祖母の《夫》である。 もう一人の祖父とは、江藤淳の母の《父》である。母方の祖…

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。 母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を手に、そこを目指して訪ね歩いていった 。もちろん、宮治民三郎の《故郷 》も《生家》も、偶然に偶然が重なり、見つかることになるのだが、その前に、江藤淳と宮治民三郎とのわずかな交流について、記しておきたい。海軍軍人だった老人が、日本軍壊滅後、つまり戦後を、どのよ

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を…

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。 母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を手に、そこを目指して訪ね歩いていった 。もちろん、宮治民三郎の《故郷 》も《生家》も、偶然に偶然が重なり、見つかることになるのだが、その前に、江藤淳と宮治民三郎とのわずかな交流について、記しておきたい。海軍軍人だった老人が、日本軍壊滅後、つまり戦後を、どのよ

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を…

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。 母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を手に、そこを目指して訪ね歩いていった 。もちろん、宮治民三郎の《故郷 》も《生家》も、偶然に偶然が重なり、見つかることになるのだが、その前に、江藤淳と宮治民三郎とのわずかな交流について、記しておきたい。海軍軍人だった老人が、日本軍壊滅後、つまり戦後を、どのよ

■江藤淳の『 一族再会』を読む(3)~母方の祖父・宮治民三郎の故郷。母の死後、疎遠になっていた母方の祖父・宮治民三郎の故郷は、愛知県の片田舎、海東郡蜂須賀村にあった。江藤淳は、『 一族再会』を『 季刊藝術』に連載中だった、ある日 、わずかな資料を…