山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

「存在論としての漱石論」(5) 夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者としての能力がなかったから、なれなかったのか。無論、そうではない。では、何故 、なれなかったのか。漱石の有名な言葉に、「英文学に欺かれたるが如き不安の念」というのがある。これは、東京帝国大学の講義ノート『 文学論』の中の言葉である。漱石は、東京帝国大学講師を辞めて、作


存在論としての漱石論」(5)

夏目漱石は、「維新の志士」たちのように、命懸けで 文学をやりたいと言っている。それは「英文学としての文学」ではない。漱石は、「英文学者」になろうとしてなれなかった人である。何故、なれなかったのか。漱石に、学者としての能力がなかったから、なれなかったのか。無論、そうではない。では、何故 、なれなかったのか。漱石の有名な言葉に、「英文学に欺かれたるが如き不安の念」というのがある。これは、東京帝国大学講義ノート『 文学論』の中の言葉である。漱石は、東京帝国大学講師を辞めて、作家として、朝日新聞に入社した。漱石東京帝国大学講師という職を投げ出して、新聞社の社員となった背景には、「怒り」があったはずである。