山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■柄谷行人の新作『力と交換様式』について(4) さて次は、柄谷行人の論述にしたがって、《 交換様式D》について説明しよう。実は柄谷行人が、『力と交換様式』において力説するのは 、この《 交換様式D》の世界である。むろん、《 交換様式D 》の時代はまだ到来していない。いつ到来するかもわからない。あるいは永遠に来ないかもしれない。柄谷行人の妄想かもしれない。要するに、《交換様式D 》の世界は、観念として、あるいは空想としてしか存在していない。では、柄谷行人が考える《交換様式D 》の世界とは、どういう世

柄谷行人の新作『力と交換様式』について(4)

さて次は、柄谷行人の論述にしたがって、《 交換様式D》について説明しよう。実は柄谷行人が、『力と交換様式』において力説するのは 、この《 交換様式D》の世界である。むろん、《 交換様式D 》の時代はまだ到来していない。いつ到来するかもわからない。あるいは永遠に来ないかもしれない。柄谷行人の妄想かもしれない。要するに、《交換様式D 》の世界は、観念として、あるいは空想としてしか存在していない。では、柄谷行人が考える《交換様式D 》の世界とは、どういう世界なのか。《交換様式A 》の再帰、再現だという。ただし、そのままの再帰 、再現、回帰ではなく、「 高度の再帰」だという。つまり、《交換様式A》から《交換様式B》と《交換様式C》を経てきた人間は、あるいは人類は、頭の片隅に微かな無意識下の記憶として残存している 、あの古き、良き時代の《交換様式A》の時代を、無意識のうちに、再現=実現するのではないか 、というわけである。このことを 、柄谷行人は、フロイドの《 抑圧されたものの回帰》理論で説明している。抑圧されていた《 交換様式A》が回帰して来るのではないかというわけである。ここで《 力 》が問題になる。《 交換様式D》が回帰して来るのには、何らかの《 力 》が不可欠だが、それはどういう《力 》だろうか。いま 、新興宗教が世間を賑わせているが、柄谷行人の言う《 力》も、一種の《宗教的な力》だと言う。確かに、われわれの内部に、資本主義的な商品交換の論理に逆らうものが存在する。金銭のやり取りでしか成立していない普段の生活の中で、つまり商品交換でしか成立していない普段の生活の中で 、例えば、地震や台風の被害者に対して、一銭にもならないようなボランティア活動などに多数の若者たちが押し寄せたり、大量の義援金や見舞い金などが、送られて来たりするが、これなども、《 交換様式A 》の回帰 、《 互酬交換 》の回帰の一種なのではないだろうか。新興宗教が極度に批判 、攻撃されるのは、新興宗教の世界が 、資本主義的な商品交換の論理に逆らうものを持つからではないのか。平凡な生活者が、全財産をはたいて、「一億円 」の金を差し出すことは、資本主義社会の論理で言うと、確かに異常である。しかし、その異常なことをやるのが《 宗教的な力 》である。