山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■柄谷行人の新著『力と交換様式』について(7)。 余談はこのぐらいにして、『力と交換様式』の本文と中身を読むことにしよう。まず序論を読んでみよう。私は、柄谷行人の《 序論》を読むこが好きである。だから何回でも繰り返して序論を読む。私は、柄谷行人の理論や思想体系にそれほど関心がない。まったくないわけではないが、私がもっとも関心があるのは、柄谷行人の《思考力 》であり、《思考の躍動 》であり、《思考のスタイル 》である。だから私は、序論を読む。誤解を恐れずに言えば、それだけで、柄谷行人の思想的本質が

柄谷行人の新著『力と交換様式』について(7)。

余談はこのぐらいにして、『力と交換様式』の本文と中身を読むことにしよう。まず序論を読んでみよう。私は、柄谷行人の《 序論》を読むこが好きである。だから何回でも繰り返して序論を読む。私は、柄谷行人の理論や思想体系にそれほど関心がない。まったくないわけではないが、私がもっとも関心があるのは、柄谷行人の《思考力 》であり、《思考の躍動 》であり、《思考のスタイル 》である。だから私は、序論を読む。誤解を恐れずに言えば、それだけで、柄谷行人の思想的本質がわかる。作家論の世界で、よく、《 処女作にすべてがある》と言われるが、その論理を利用するならば、《序論にすべてがある》と言いたくなるほど、私は、柄谷行人の著作の《序論 》は、重要であると思う。私見によれば 、優れた文学者や思想家は、序論や序文に全力投球する。出し惜しみを、一切、しない。もっとも重要な思想は後半にあるなどと言いはしない。柄谷行人は、『力と交換様式』の序論の冒頭で、《上部構造の観念的な「力 」 》について書いている。これは、この本のテーマであると同時に、この本のすべてである、と言ってもいいかもしれない。柄谷行人は,《 マルクス主義は、何故、敗北したのか 》と問うが、その答えは、上部構造の持つ「 力」を軽視、黙殺したところにあると言う。つまり、生産様式としての下部構造に依存しすぎ、《下部構造が上部構造を決定する 》というマルクス主義固定観念固執したところにある、と。そこで、柄谷行人が注目するのが、上部構造の持つ「力 」である。しかも、《上部構造の観念的な「力 」 》である。
序論の冒頭で、こう書いている。

《私は『世界史の構造』(岩波書店 、2010年)で、「生産様式から交換様式へ」の移行を提唱した。本書はそれを再考するものである。 》

確かに、柄谷行人は、『世界史の構造』で、理論を提唱した。この《理論 》により、それまでの読者たちより、より以上の読者が、関心を持ったはずである。《理論 》は、ある意味では、わかりやすい。柄谷行人の《思考 》や《文体 》に興味のない人でも、《理論 》なら飛びつきやすい。《 理論 》は知識の領域にある。《思考力 》や《思考の躍動 》という問題とは切り離して考えることが出来るからだ。そこで、柄谷行人は、その《理論 》を「 再考」するという。「再考 」するとは、どういうことか。同じ《 理論》の説明を繰り返すきとではない。それを、さらに先へ進めるということである。ここに、柄谷行人の《思考力 》と《思考の躍動 》といy問題がある。柄谷行人のファンや愛読者には、それがない。柄谷行人は、続けて書いている。

《 簡単にいうと、マルクス主義の標準的な理論では、社会構成体の歴史が、建築的なメタファーにもとづいて考えられた。つまり、生産様式が経済的なベース(土台)にあり、政治的・観念的な上部構造がそれによって規定されているということになっている。私は、社会構成体の歴史が経済的ベースによって決定されているということに反対ではないが、ただそのベースは生産様式だけではなく、むしろ交換様式にあると考えたのである。》

柄谷行人は、既に述べたように、《 生産様式 》に代えて、《交換様式 》をキーワードにしながら、人類の歴史を総括する。次の四つの段階があると考える。
⑴《 交換様式A 》(互酬性)⑵《 交換様式B 》(贈与と略取)⑶《 交換様式C 》(商品交換)、そして⑷《交換様式D 》。
ここまでは、全著『世界史の構造』でものべていたことせある。本書で、柄谷行人が、新たに探究していくのが、「力 」である。まだ、誰も考えたことのないかのように見える「力 」の問題である。