■アドルフ・ヒットラーは間違っていなかった・・・のではないか。
私は、昔から、大きな声では言えないが、ヒットラーが嫌いではなかった。《 嫌いではなかった》というより《大好き》だった。私は《 思考力》を鍛えるためにヒットラーの『 我が闘争』やヒットラー関係の文献を読んでいた。つまり、私は、周りの小市民的常識論、プチブル的センチメンタリズム、井戸端会議的な倫理や道徳が大嫌いだった。そういう私にとって、ヒットラーは絶好のテキストだった。ところで、今、あらためて、アドルフ・ヒットラーは、間違っていなかったのではないか、と思う。ヒットラーが間違っていたのは、戦争に負けたことだけではなかったのか。私は、高校生の頃から小林秀雄の『 ヒットラーと悪魔』を愛読=熟読しているから、ヒットラーとドストエフスキーの『 悪霊』のスタヴローギンを同等に評価する思考習慣が身についている。さらに言えば、三島由紀夫の『 我が友ヒットラー』も愛読書の一つだ。何故、小林秀雄や三島由紀夫のような日本文化を代表する知性が、ヒットラーに興味を持ったのか。