■《ガザの大虐殺》は現代の《美談》なのか。
私は、『 アンネの
日記』やフランクルの『 夜と霧』を筆頭に、いわゆるヒトラーのナチズムに迫害を受けたというユダヤ人の《 悲劇 》や《 物語》の類いが、昔から嫌いであった。『 アンネの日記』も、『 夜と霧』も、まともに読んだことはない。むしろ、私は、誤解を恐れずに言うならば、《 加害者 》側のヒトラーやナチズムの方に興味があった。ナチズムの哲学との関係を、『協力者』として批判され、責任追求された哲学者=ハイデッガーに、私は、むしろ、その故に興味があった。ナチズムと関係があろうがなかろうが、それ故に、《存在 》と《 存在者》の差異を強調するハイデッガーの存在論の方が、哲学的に深いのだ、と。ハイデッガーの弟子で愛人だったハンナ・アーレントの『 エルサレムのアイヒマン』事件に際しても、むしろ 、《 悪役 》を割り振られたアイヒマンに対して 、私はシンパシーを感じたし、同情的だった。今、1000人か2000人を虐殺したというハマスによる奇襲攻撃を根拠に、イスラエルの軍隊は、パレスチナ人が閉じ込められているガザ地区で、《 自衛権 》の行使による《 正義の虐殺 》を開始したようである。既に空爆などで、7000人か8000人のパレスチナ人が虐殺されているらしいが、イスラエル側から見れば、自分たちは、元々、《 被害者》なのだから、この《ガザの大虐殺 》も、《美談》ということになるのだろう。《 美談の逆説 》(笑)。