山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

(註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。 存在論としての漱石論(12) 江藤淳の漱石論で、眼を引くものの一つは、漱石と、単なる崇拝者でしかない、その弟子たちとを分けて論じているところだ。江藤淳は、その漱石論で、所謂、「漱石神話」の製作者たちを手厳しく批判し、「漱石神話」なるものを破壊している。


(註記)本稿は『月刊日本』連載中の『江藤淳とその時代(3) 』の下書きです。常に加筆修正中につき、完成稿は『月刊日本』でお読みください。

存在論としての漱石論(12)

江藤淳漱石論で、眼を引くものの一つは、漱石と、単なる崇拝者でしかない、その弟子たちとを分けて論じているところだ。江藤淳は、その漱石論で、所謂、「漱石神話」の製作者たちを手厳しく批判し、「漱石神話」なるものを破壊している。『夏目漱石 』の「初版へのあとがき」で、こう書いている。
漱石についてはもうすべてがいいつくされている。今更なにをいってもはじまらない。というのがおそらく今日の通説である。しかしこのような通説ほど、ぼくにとって理解し難いものはなかった。ぼくには、自分の眼に見える漱石の姿を、出来るだけ生き生きと描いてみたいという凶暴な衝動があった。 》

江藤淳は、漱石の弟子たちが中心になって作り上げた「漱石神話」の破壊を、「凶暴な衝動」をもって開始した。「凶暴な衝動」とはおだやかではない。江藤淳には、この時、何か、穏やかならぬものがあったのであろう。この「凶暴な衝動」は、江藤淳漱石論の全編を貫いているだくでなく、その死に至るまでの全著作を貫いているということが出来るかもしれない。常に「凶暴な衝動」を胸に秘めながら、批評を書き続けていたのが、江藤淳という批評家だった。さらに、こんなことも書いている。

《 英雄崇拝位不潔なものはない。ぼくは崇拝の対象となっている漱石が我慢ならなかったのだ。人間を崇拝することほど、傲慢な行為はないし、他人に崇拝されるほど屈辱的なこともない。崇拝もせず、軽蔑もせず、只平凡な生活人であった漱石の肖像を描くことが、ぼくには作家に対する最高の礼儀だと思われる。偶像は死んでいるが、こうしてひとたび人間の共感に捉えられた精神の動きは、常に生きているからである。》