山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 090-6007-0726。 yama31517@yahoo.co.jp

■『維新と興亜』第9号、10月28日発売。以下は本文の一部の抜粋です。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★【座談会】『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の読者に問う!(山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部) ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★対談(稲村公望=深田萌絵)「米中台のグローバリストに挟撃される日本」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★何故 、水戸学は 「水戸学」と呼ばれるのか。ー 実践と実行をともなった学問(山崎行太郎) ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★【座談会】『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウ

f:id:yamazaki935:20211027085027p:plain■『維新と興亜』第9号、10月28日発売。以下は本文の一部の抜粋です。
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★【座談会】『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の読者に問う!(山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部)
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★対談(稲村公望=深田萌絵)「米中台のグローバリストに挟撃される日本」
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★何故 、水戸学は 「水戸学」と呼ばれるのか。ー 実践と実行をともなった学問(山崎行太郎)

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★【座談会】『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の読者に問う!(山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部)

 『Hanada』、『WiLL』、『正論』などの「保守雑誌」は、中国や韓国、左派や野党に対しては、非常に鋭いパンチを繰り出している。読者はそれを喝采し、溜飲を下げているのかもしれない。しかし、これらの保守雑誌には重大な欠陥が潜んでいるのだ。彼らは、ひたすら自民党や政権を礼賛し、国家の主権や独立よりもアメリカへの追従、迎合を重視し、売国的な経済政策を主導し、日本社会を破壊してきた竹中平蔵氏らの新自由主義者を恥じらいもなく重用しているからだ。こうした言論が「保守論壇」の主流を占めている限り、わが国は本来の姿を取り戻せない。

 では、保守雑誌のあるべき姿とは何か。『保守論壇亡国論』などで保守思想家を撫で斬ってきた山崎行太郎さんと、「国体」を基軸とする独自の編集方針を貫く『国体文化』(日本国体学会機関誌)の編集長を務める金子宗德さんと本誌編集部メンバーが保守雑誌の問題点について徹底的に議論した。

「結論」を横取りし自説のごとく振り回す「パクリ野郎」

── 『WiLL』などの保守雑誌は野党を激しく叩いていますが、政権には阿るばかりです。まるで自民党御用雑誌のような様相を呈しています。

金子 これらの雑誌は、九月に行われた自民党総裁選では「高市待望論」を展開し、その前は菅政権擁護、そしてその前は安倍政権擁護の主張を載せてきました。

 特に第二次安倍政権以降は、政権を礼賛するためのプロパガンダ雑誌のようになっています。安倍氏が政権を退いた直後に刊行された昨年十一月号では、『Hanada』が「総力大特集 永久保存版 ありがとう安倍晋三総理」、『WiLL』が「総力特集 身命を賭した安倍政権の光輝」、『正論』が「未完の安倍政治」という特集を組むなど、安倍氏への忠誠心を競い合っているようでした。

 政権を礼賛し、現状を肯定することが「保守」であり、政権を批判する者は「反日」だという誤った考え方が広がっているように思います。編集者も執筆者も、何を保守するのか分かっていないのです。

 そもそも、日本には「保守」という言葉が十分に定着していないのかもしれません。「保守」の用例の早いものとしては、明治十二(一八七九)年に福澤諭吉が著した『民情一新』が挙げられます。福澤は「在来の物を保ち旧き事を守り以て当世の無事平穏を謀る、之を保守の主義と云ふ」と書いています。ここでの「保守」は、事なかれ主義に近いニュアンスで用いられているに過ぎません。その二年後の明治十四年には、金子堅太郎が『政治論略』で「保守主義」の政治思想を説いています。自由民権運動が活発な時期であり、明治政府の打倒にも繋がりかねない急進的な思想に歯止めをかける思想として、金子は「保守主義」を提唱します。注目すべきは、金子の「保守主義」がエドマンド・バークの思想に基づいたものだったということです。

山崎 金子さんの説明の通りだと思います。ただし、私は、そもそも「保守」という言葉が好きではありません。「保守」は「ことなかれ主義」の匂いがしますね。だから私は、学生時代、全共闘世代で、左翼全盛の頃ですが、皮肉を込めて「保守反動」を自称していました。私の考える保守は、小林秀雄江藤淳等に学んだものですが、「革命的保守」というか「保守過激派」とでも呼ぶべき保守です。したがってフランス革命に怯えたバークにもまったく興味ありません。ところで、政治思想として、メディアなどで「保守」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、比較的最近だと思います。小林秀雄江藤淳三島由紀夫たちは、敢えて「保守」という言葉は使いませんでした。むしろ彼らが亡くなった後に、「保守」という言葉が氾濫するようになりました。本来、「保守」は理論化、イデオロギー化できないもののはずです。それを理論化したのが、西部邁だと思います。小林秀雄江藤淳三島由紀夫福田恒存らの「保守思想」は、生活感覚のような保守であり、「直接経験」や西田幾多朗の「純粋経験」を重視するものでした。「保守」は理論化とは馴染みのないものだったからこそ、保守であることは決してやさしいことではなかったのです。

 ところが西部以後、保守は誰でも簡単になれるものに変貌してしまいました。「従属慰安婦はいなかった」「南京事件はなかった」などと言いさえすれば、誰でも保守の仲間入りができるようになったというわけです。こうして「保守の通俗化」、「保守の大衆化」が始まりました。

 江藤淳は、自分で「問題」を見出し、自分の頭で考え、自分で調査し、自分で分析して、結論を導きました。例えば、「占領憲法」に「問題点」を見出し、自らアメリカの国立文書資料館に通い、関係資料を発掘し、調査・分析し、「押し付け憲法」の実態を暴露していきました。これに対して、昨今の保守思想家は、「問題」の結論だけを横取り、模倣し、自説のごとく振り回す「パクリ野郎」たちばかりです。

 私は、保守派を名乗っている「ネトウヨ雑誌」を読みません。立ち読みぐらいはした事がありますが。書いている人は、目次を見れば明らかですが、ほぼ素人か、素人に毛の生えた人たちです。学問的業績も思想的業績もゼロ。オヤジたちの居酒屋漫談とオバサンたちの井戸端会議レベル。それを大真面目に読んで、アッサリと洗脳され、熱狂的信者になって、騒いでいるのがネトウヨとかネット右翼とか呼ばれている連中です。まともな読書とは無縁な老若男女の皆さんたち。普段は漫画か週刊誌ぐらいしか読まないので、簡単に活字に洗脳されてしまうのです。

外来の保守思想にかぶれる言論人たち

山崎 西部は、遅れて来た「転向保守」らしく、保守思想家の先輩格である小林秀雄江藤淳を、バーク理論を使って批判し、保守論壇を「左翼論壇化」しました。それが「保守思想の理論化」です。

金子 確かに、バークの保守思想を持ち出した西部の議論は、エポック・メイキングになりました。しかし、保守論壇の「バークかぶれ」を助長したのは八木秀次氏らだと思います。例えば、『諸君!』(平成十二年八月号)には、八木氏と中川八洋氏、渡部昇一による「エドマンド・バークに学ぶ 保守主義の大道」鼎談が掲載されています。

── 今や中島岳志氏から小川栄太郎氏に至るまで、論壇は「バークかぶれ」だらけです。

金子 「理性の絶対視はだめだ」「設計主義はいけない」といったバーク流の保守主義には、大きな落とし穴があると思います。フランス革命を批判したバークの保守主義は、人間の「理性」の能力に懐疑的で、それに基づく急進的な社会改革・革命を批判する立場です。

 しかし、人間はどうしても理想を求める生き物です。理想を掲げ、現実社会を変えようとすれば、どうしても設計主義的側面が出てきます。逆に、設計主義はいけないとして理想を懐くことまでも否定してしまったら、結局のところ現状を無批判に肯定し、流されてしまうのではないでしょうか。

── 日本の保守派がイギリスの保守思想家の思想を有難がっていることが大きな矛盾です。陸羯南柳田国男もバークを読んでいましたが、彼らはそれをあからさまに出さない恥じらいを持っていました。そもそもバークが基盤とするキリスト教的価値観は、日本の伝統思想とは異なるものです。しかも、我々は君民一体の國體の回復こそ、保守派が目指すべき最重要課題だと考えていますが、バークは親政論者でもなく、資本主義に対して好意的な考えを持っていました。バークの思想には、國體を重視する我々の考え方とは相容れない部分が少なくありません。

 我々は、日本の本来あるべき姿を描き、そこに回帰するための不断の運動を展開するのが保守だと考えています。バーク流の保守主義に頼っていてはだめです。つまり、現在の保守雑誌には、明治維新昭和維新の原動力となった國體思想が決定的に欠落しているのです。

実践と実行をともなった学問

 『藤田東湖西郷南洲』というテーマで、『維新と興亜』の貴重な誌面を拝借して、長々と書き続けてきたが、今後も、飽きもせずに書き続けるつもりだ。もうすぐ、後期高齢者の仲間入りをする小生の生命も、自然の摂理として終わりに近づきつつあるわけだが、私が書きたいテーマに終わりはない。私は、藤田東湖西郷南洲の事績やその歴史を書きたいわけではない。藤田東湖西郷南洲の思想と行動の軌跡を追いながら、「思想とは何か」「学問とは何か」を追求しようと思って、書き続けている。何故、水戸学は「水戸学」になったのか。

 私が、「水戸学」とか「水戸学派」というものに興味をもったのも、この「思想とは何か」「学問とは何か」という問題と深くかかわっている。水戸学にとって、思想とは、いわゆるただの「思想」でも、机上の空論としての「学問」でもない。最近、巷で流行の「居酒屋政治漫談」的な与太話としての「思想」でも「学問」でもない。何回も繰り返すが、水戸学は、実践や実行をともなった学問である。実践や実行をともなっているということは、その実践や実行には、必然的に「死」がともなっているということだ。「実践」や「実行」や「死」がともなっていない水戸学は水戸学ではない。私は、そこに深い思想的刺激を受け、興味をもった。私は、水戸藩の武士たちが中心になって実行した「桜田門外の変」や「天狗党の乱」は、水戸学派の正当な思想や学問を受け継ぐ純正水戸学であり、水戸学の深化・延長上の出来事だったと思っている。水戸学の誤解や混迷や暴走がもたらした偶発的事件だという解釈もあるらしいが、私はそうは思わない。薩摩藩の子弟教育の教材だったと言われる「日新公いろは唄」の中に、

いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし

というものがあるが、それは水戸学派に通じる「実践論」の哲学そのものである。西郷南洲藤田東湖に初めて面会した時、西郷南洲は、それを直感し、それを骨身に沁みるように感得したはずだ。藤田東湖の水戸学には、「死の匂い」がしていたはずだ。換言すれば、「やるか、やらないか」「死ぬ覚悟はあるか、ないか」の実存的決断を迫っていたはずだ。

 藤田東湖に面会・談話した直後の西郷南洲の手紙を改めて引用する。

 《他人に申すのは、口幅ったいが、東湖先生は私を心の中で非常に可愛がって居られるようです。偉丈夫、偉丈夫と私を呼ばれ、私が何かいうと、さうだ、さうだ、まさにその通りだと賛成されます。天下のために薩摩が大いに活躍する時が来た。君たちのような人達が斉彬公を押立てて活動すれば、夷狄を打攘い皇国を振起することは難事ではない。有難い、頼もしいことだと言われ、身に余るうれしさよろこびです。若し水戸老侯が鞭をあげて異船打攘いに魁けられることでもありますれば逸散に駆けつけて、戦場の埋草になりとも役立ちたいと、心から東湖先生に心酔いたしております。》

 これは、西郷南洲の側からみた藤田東湖の言動と振る舞いを記述したものだが、もうこの時点で二人の対話には、単なる学問や思想を超えた、思想的同志の対話があったとみていい。要するに、師弟関係を超えた「革命家」と「革命家」の対話である。藤田東湖は、西郷南洲を一目見て、「この男は、口説の男ではない、やる男だ」と直感している。西郷南洲西郷南洲で、藤田東湖を、単なる「大学者」、単なる「大思想家」とは見ていない。それ以上の「何か」を見ている。その「何か」とは何か。私は、それは、哲学者・西田幾お多郎が言った水戸学派の内包する「ガイスト(精神)」ではないか、と思う。水戸藩の学問が「水戸学」とか「水戸学派」と呼ばれることになったのは、この「ガイスト」に根拠があるのではないか。