山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■薩摩半島の山奥のポツンと一軒家・『毒蛇山荘』で『 江藤淳 』を読む(3)。 江藤淳を、ろくに読みもせずに、さらにもまともに理解しようとう意力もなく、無理解のまま軽々しく批判し、冷笑する人は少なくないが、むしろ、私は、そこに、江藤淳を読むことの《難解さ 》、理解することの《難解さ》が、象徴的に現れていると思う。たとえば数年前に刊行され、それなりに高い評価を得たように見える平山周吉の『江藤淳は蘇る 』をめぐる騒動を見てみると、何処に江藤淳の《難解さ》の根拠があるかがわかるようにみえる。たとえば何回も書く

薩摩半島の山奥のポツンと一軒家・『毒蛇山荘』で『 江藤淳 』を読む(3)。

江藤淳を、ろくに読みもせずに、さらにもまともに理解しようとう意力もなく、無理解のまま軽々しく批判し、冷笑する人は少なくないが、むしろ、私は、そこに、江藤淳を読むことの《難解さ 》、理解することの《難解さ》が、象徴的に現れていると思う。たとえば数年前に刊行され、それなりに高い評価を得たように見える平山周吉の『江藤淳は蘇る 』をめぐる騒動を見てみると、何処に江藤淳の《難解さ》の根拠があるかがわかるようにみえる。たとえば何回も書くが、江藤淳は、幼年時代に体験した《 母親の死 》について、執拗に書いている。あるいは晩年に遭遇した《 妻の死 》についても、一冊の本になるまで詳しく書いている。そしてさらには、親友であった《山川方夫の死》についても。ところが、残念ながら『江藤淳は蘇る 』には、その執筆動機と執筆根拠が書かれていない。ただ事実経過が素朴に記述されているだけである。私は、同書に多くを教えられたが、何かが欠如している。これでは、江藤淳という奴は、いつまでも、《母親の死 》を嘆き哀しむ《 女々しい 》《甘ったれ 》た奴と思われても仕方がない。では、江藤淳は、何故、《 母親の死 》や《 妻の死 》、あるいは《 親友の死 》を、執拗に追究し、文学作品の一つとして書き続けたのか。実は、江藤淳は、《実存論的精神分析 》として、あるいは《 実存的自己分析》として書いているのだ。単に、母親の死や妻の死を、素朴に嘆き哀しむために書いているのではない。母親の死や妻の死のような悲劇的体験した人は、江藤淳以外にも、少なくないだろう。しかし、それらを、文学作品にまで高めることに成功したかにみえる人は、そんなに多くないだろう。たとえば、江藤淳が強い思想的影響を受けたサルトルは、『 ボードレール』論で、ボードレールが幼くして父親を喪い、その後、母親が再婚したという幼児体験を、ボードレール文学の誕生の根拠の一つとみなしている。またサルトル自身も、自伝的作品『 言葉』で、幼年時代の父親の死と母親の再婚という体験を書いている。サルトル実存主義哲学も、そこを原点に生まれたのではないか。あるいはフロイドの例をあげてもいい。フロイドの《精神分析学 》、あるいは《深層心理学 》《エディプス・コンプレックス 》という学問は、フロイド自身の《 父親の死 》の体験を契機に誕生したと言われている。フロイドは、また『 ドストエフスキーと父親殺し』という論文を書いて、ドストエフスキーにおける17歳の時の《父親の死》の原体験 が、ドストエフスキーの文学の重要なテーマになっていると言っている。ドストエフスキーてんかんという病気も、それを契機に始まったと言っている。《 父親の死 》や《母親の死 》は、どこにでもある、誰もが経験する平凡な話にすぎない。しかし、その体験をどう受けとめ、どう解釈し、どう活かしていくかは、それぞれ異なるだろう。しかも、それに執拗にこだわることが、《 女々しい 》とか《甘ったれ 》ているとかいうことにはなるまい。