『《 沖縄集団自決論争 》始末記』(4)〜大江健三郎『沖縄ノート』を読みながら〜
私が、この論争や裁判に興味を持ったのは 、かなり遅い。つまり 、「大江健三郎」を吊るしあげるような論争や裁判が、相当進んでからのことだった。私は、「大江健三郎」が、曽野綾子や小林よしのり、藤岡信勝、渡部昇一等を筆頭とする一群の「ネット右翼」たちに批判、攻撃、罵倒されて 、窮地に立たされているらしいことを知った時、初めてこの《 沖縄集団自決論争 》や《沖縄集団自決裁判》に興味を持った。「日本の宝」である《 大江健三郎》を、幼稚・稚拙な論理で批判し、罵倒し、嘲笑するとは何事か、と。文学関係者のハシクレとして義憤を感じたからである。私は 、元々、時事問題や情勢論、政局論、政界裏話など、いわゆる居酒屋政治漫談や井戸端会議的な《 ありふれた話題 》に熱中することが嫌いである。しかし、私は、それが、どんなにありふれた話題であったとしても、私にとって、それが《 存在論的話題》であると直観した場合は別である。たとえば、《 小沢一郎冤罪事件》がそうであったし、《 三島由紀夫自決事件》、《 連合赤軍事件》などがそうであった。最近では、《 ウクライナ戦争》がそうであった。たとえば、《小沢一郎冤罪事件》では、私は、「小沢一郎を支援する集会」にまで参加し、豊島公会堂での集会では演説を何回も繰り返し、一冊の単行本『それでも私は、小沢一郎を断固支持する』まで出版している。《 三島由紀夫自決事件》もそうである。つまり、私は、『小説三島由紀夫事件』を書き 、出版している。私は、高校生時代からロシア文学には、特別な関心を持ち、かなり深入りしている。ドストエフスキーやロシア革命史に関しては、それなりに、誰にも譲れない「一家言」を持っている。だから、私は、いわゆる《 ウクライナ戦争》については 、プーチン擁護論を展開した。私は、安っぽいお茶の間的なヒューマニズムも嫌いだし、単純な欧米中心主義も嫌いだし、米国主導の世界支配システムも嫌いなのだ。《 ウクライナ戦争 》は、米露の代理戦争である。米露は、「 一対立一 」で核戦争でもなんでもやるべきだと思っている。
話が脇道にそれた。大江健三郎の話題に戻ろう。さて、私は、そういうわけで、かなり遅れて論争に参戦したが、論争関係の雑誌や資料や原典を読み進めていくうちに、ますます、興味が湧いてきて、夜を徹して読むようになっていった。一段落した時に、私は、『 沖縄集団自決論争に異議あり』という短い論文を、『 月刊日本』という保守系思想雑誌に発表した。ほとんど反響はなかったが、唯一、反応してくれたのが、当時、論壇の売れっ子だった佐藤優さんだった。その後、『 月刊日本』編集部の尾崎秀英を通じて、対談の話が持ち上がり、《 佐藤優×山崎行太郎対談》が実現したのだった。