石原莞爾は、若い頃、ドイツに二年以上留学し、西欧の軍事史を勉強している。『 最終戦争論』も、前半は、西欧の戦争を題材にして、戦争には、短期決戦型の《 決戦戦争 》と、長期戦型の《持久戦争 》の二つの類型があると論じている。古代ギリシャ、ローマの時代の戦争から、フランス革命、ナポレオン戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)まで、この二つの戦争が、交代に、繰り返されてきたと書いている。そして、最終的に、強力な破壊力を持つ《 新兵器》を使った決戦型の残酷極まりない《最終戦争》が、目前に迫っている。その《最終戦争》が終わると、世界が統一され、平和が訪れる。その《最終戦争》こそ、太平洋をはさんで対峙する日本と米国が対決する《日米戦争》ではないか、と。つまり、石原莞爾によると、《日米戦争》こそ《 最終戦争 》なのである。
石原莞爾の戦争論の背後には 、西欧合理主義的論理による軍事研究と 、日蓮宗やその系譜の田中智学の国柱会を中心とする仏教思想がある。特に最終戦争から世界の統一、平和の実現・・・西方極楽浄土の実現(?)・・・というモチーフには、仏教思想の影響が濃厚のように見える。石原莞爾は、『最終戦争論』の末尾に「仏教の予言」という一章をもうけて、仏教思想や日蓮宗、あるいは国柱会の思想を、かなり詳しく論じている。
《私は宗教の最も大切なことは予言であると思います。仏教、特に日蓮上人の宗教が予言の点から見て、最も雄大で精密を極めたものであろうと考えます。 》(石原莞爾『最終戦争論、戦争史大観』)
これらの発言から 、石原莞爾は 、《 宗教 》とか《 予言 》というような非合理的匂いのする言葉を使いながら、極めて理性的 、合理的な思考態度を失っていないと言っていい。逆に言えば、石原莞爾が、田中智学の《 国柱会 》に強く惹かれたのは、それが、《 最も雄大で精密を極めた》・・・合理的な理論体系を備えていたからだと思われる。