日蓮の起こした反国家論という《闘う仏教》としての日蓮宗から、時代経過とともに《葬式仏教》に堕落しつつあった日蓮宗に、日蓮宗本来の《闘う仏教》の精神(反国家論)を吹き込んで、日蓮宗を再興しようよしたのが、田中智学であった。その《 戦う仏教 》としての日蓮宗を、葬式仏教に堕落した日蓮宗から脱退=離脱し、あらたに在野に活動の舞台を求め、その反国家論的な団体の名称も、日蓮の言葉から《 国柱会》と名付ける。私は、宮澤賢治や石原莞爾が、何故《国柱会 》に入会し、 何故《国柱会》の熱狂的とも言うべき《 信者 》になったのか、不思議であったが、その理由は、おそらく、その反権力的、反体制的な、 過激な《 反抗精神 》、つまり《反国家論的精神 》にあったのではないかと思う。宮澤賢治の《イーハトーブ》というユートピア思想も、石原莞爾の《満洲=王道楽土》というユートピア国家論も、国柱会の反国家論的なラジカリズムと共通するものを持っている。