山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

作家・岳真也さんの最新作『 翔』について。(3)


作家・岳真也さんの最新作『 翔』について。(3)

小市民的な平凡な日常生活を送りながら、文学や小説をやるといのは、自己矛盾である。どんなに巧妙で、複雑怪奇 な文学理論で武装したとしても、平凡、凡庸という枠から抜け出すことはありえない。いや、作家の日常生活と作品の世界は別物だ 、という人がいる。平凡な日常生活を送りながら、異常な、複雑=怪奇な小説世界を描くことが出来る、と。そうだろうか。私は、そうは思わない。文学=小説は、そんなに単純=素朴ではない。そこで、作家自身の日常生活を文学的表現にまで高める「私小説」というものが、誕生する。そこには 、文学理論などが介入する余地はない。要するに、「フィクション」などというような、浅薄な「嘘」はつけない。小説はフィクションではない。小説は虚構ではない。
岳真也は、私小説の王道を、愚直なまでに死守しながら、その道を歩いてきた。最新作『翔 』は、その大きな達成である。ここには、岳真也という作家の私生活と日常生活が、克明に描かれている。前妻との別れ。それから逃げるように「インド放浪」の旅へ。同時に愛人に子供が出来る。再婚。再び新しい愛人が・・・。家庭と愛人との二重生活。それを見ながら、「次男」は、優しい、いわゆる「いい子」だが、やや内向的で、自閉的な少年へと成長していく。引きこもり、家庭内暴力、警察沙汰。精神病院へ。
私は、作家・岳真也の私生活は、一部しか知らない。外面的な顔しか知らない。この小説を読むまで、知らなかったことばかりだ。岳真也は、普段は、平凡な会社員のように 、規律正しい生活を送っている。仕事(執筆)は、テキパキと精力的にこなし、次々と作品を書き上げ、出版し、部屋(事務所)は、「女性の部屋」かと見間違えるほど、綺麗にかたずけられ、何処にも自堕落なところは見られない。とても私には出来ないような日常生活を送っている。私は、岳真也さんに出会って以来、多くのことを学んで来た。少なくとも、社会人としての岳真也さんの生き方は、やることなすことが、私の「お手本」だった。私が、「物書き」(文芸評論家)になれたのは、岳真也というお手本があったからだ。むしろ、私は、岳真也さんのキチンとした私生活(一部?)を見ながら、「岳真也は作家には向いていないのではないか。サラリーマンにでもなった方がいいのではないか・・・」と思ったほどだ。むろん、私の勘違いであった。岳真也には岳真也特有の「深い闇」が、その精神の地下室に広がっていたのだ。岳真也さんは、普段の日常生活では、そんな素振りは決して見せなかった。しかし、時々、それらしきものをチラリと覗かせることがなかったわけではない。
私は、岳真也さんが、怒った場面を見たことがない。ましてや怒り狂って、ものを投げたり、悪罵雑言を浴びせかけたりした場面を見たことがない。この『 翔』という小説でも 、作者(岳真也?)は、次男が、どんなに乱暴狼藉を働いて、「殺すぞ!」と詰め寄られても、決して手をあげることはない。この「やさしさ」は、何だろうか。世の訳知り顔の教育評論家や子育て評論家や、ありいは精神医学者たちは、その「やさしさ」が、子供はを増長させ、子供を狂わせるのだ と言うかもしれない。なるほど 、そうかもしれない。しかし、私は、そんな単純な言葉で、問題が解決するとも思わない。他人の家庭内の親と子の関係など、誰にも分からない。本人たちにも分からない。「わかる」というのは大きな錯覚である。岳真也さんだって、そんなことは百も承知の上だろう。しかも、相談相手に、高名な精神科医で作家の「K先生」もついているのだ。
岳真也さんは、「解決出来ない問題」にぶつかっている。それを、世の識者たちのように、いかなる安易な解決案も提示することなく、ただ黙々と事実のみを描こうとしている。そこにこの小説の「凄さ」がある。