■(続々々)日比谷高校時代の江藤淳について。
日比谷高校時代の江藤淳は 、「生徒会」や「近代劇研究会」「校内大演奏会」「文芸同人誌」などで、活発に活躍する一方で、肺結核を発病して、三年生の時 、一年間、休学している。江藤淳の「自筆年譜」では、結核発病と休学という暗い話が中心になっているが、江藤淳は、病弱な高校生としておとなしくしていたわけではなかったようだ。と言うよりも、かなり華華しい活躍を見せ、学内では、有名人だったようだ。神奈川県の湘南高校(中学)から都立一中(日比谷高校)に転校して来た江藤淳少年は、転校生として、日比谷高校に登場すると、たちまち、目立つ学生となった。江藤淳(当時は「江頭淳夫」)は、その生徒会などでの積極的な発言力や、文学作品を学内誌に発表し、その文章力で、同級生はもちろん、上級生さえも一目おく存在であった。日比谷高校の同級生や上級生、そして下級生でさえ、江藤淳(江頭淳夫)という高校生を、鮮明に記憶していて、様々な証言が残されている。