山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 070-9033-1268。 yama31517@yahoo.co.jp

■江藤淳はサルトルの『ボードレール』から何を学んだか。 江藤淳は、サルトルの影響を受けているが、サルトルについて多くを語っていない。そこから、江藤淳はサルトルを読んでいないのではないかとか、サルトルを理解していないのではないか、とかいう解釈が大手を振ってまかり通ることになる。私は、別に、ここで、江藤淳はサルトルを熟読し、サルトルの文学や哲学を正確に理解していたなどと言うつもりはない 。学者や研究者か、あるいは野次馬的な文学愛好者や哲学愛好者なら、そいうことが問題になるだろう。しかし、江藤淳は、仏文学者で

江藤淳サルトルの『ボードレール』から何を学んだか。

江藤淳は、サルトルの影響を受けているが、サルトルについて多くを語っていない。そこから、江藤淳サルトルを読んでいないのではないかとか、サルトルを理解していないのではないか、とかいう解釈が大手を振ってまかり通ることになる。私は、別に、ここで、江藤淳サルトルを熟読し、サルトルの文学や哲学を正確に理解していたなどと言うつもりはない 。学者や研究者か、あるいは野次馬的な文学愛好者や哲学愛好者なら、そいうことが問題になるだろう。しかし、江藤淳は、仏文学者でも、サルトル研究者でもない。ましてや文学愛好者でも哲学愛好者でもない。江藤淳は批評家であるり文学者、つあり創作者である。問題は、それらを、どれだけ「血肉化」したか、あるいは「内在化」したか、さらに言えば、どれだけ「作品化」に成功したかだけが問題になる。江藤淳は、サルトルの『嘔吐』を読んで「ヒント」を得たと言っている。『ボードレール』を読んで、影響を受けたと言っている。さらに、サルトルがあまり好きではなかった、とも言っている。江藤淳は、慶應仏文科で仏文学を専攻するつもりで、慶應文学部に進学したにもかかわらず、若い英語教師・藤井昇の勧めで、あっさりと慶應英文科へと転向している。ここらあたりで、何か大きな変化=回心があったのかもしれない。それは、「死ぬこと」からか「生きる」ことへの転向=回心だったのかもしれない。江藤淳は、この頃、まだ病臥に臥しており、大学も休学が続き、挙句に「自殺未遂事件」まで起こしている。そういう悲惨な、絶望的な状況にあった時、江藤淳宅を、見舞いに訪れたのが「藤井昇先生」だった。

《 今から振り返ってみると、昭和二十九年八月半ばから九月にかけての1ヶ月余りのあいだに、 私のなかで
確実になにかが一回転したように思われる。そのときから私は、それまでとは違った方向へ歩きはじめた。(中略)藤井昇先生が、私を見舞いに来て下さったのは、ちょうどそのころのことである。