■江藤淳の『戦後と私』を読む(3)。
岸田よ、いい加減にしろ。話は横道にそれるが、広島で、ヒロシマサミット、いわゆるG7のサミットが始まったようである。一方では、中国の西安(旧長安)で、反欧米サミット、いわゆる中国サミット(中央アジアサミット)が、一日早く始まったようである。むしろ、こちらの方が重要だろう。岸田は、日本人の屈辱の記念碑である原爆資料館とか原爆ドームとやらを、サミットの目玉にしようとしているようだが、私個人は、日本人にとって屈辱の場所を売りこもうとする自虐的姿勢とその精神が、気持ちが悪いから、いい加減にしろと言いたい。私は、大江健三郎や多くの日本人のように、ヒロシマに固執する理由が、理解できないわけではない。しかし、岸田のような日本政府を代表する人物が、広島を選挙区にするとはいえ、ヒロシマを「商品化」し、挙句の果ては、「観光地化」し、外国人観光客を広島に呼び寄せようとするかのような「観光立国」的な振る舞いや言動には、強烈な違和感を感じる。私は、広島の「平和教育」が嫌いである。私は、鹿児島県に実家があるので、高校卒業後、上京して以来、広島駅を、無数に通過しているが、一回も広島見学や広島旅行をしたことがない。二三回、広島駅に下車したことはあるが、駅前をうろついただけで、なんの見学も見物もしていない。私は、広島も広島に関する言論も、嫌いである。プロ野球の「広島カープ」も嫌いである。
さて、江藤淳は、ヒロシマについて、どう語り、どう書いたのだろうか。私は、残念ながら。江藤淳がヒロシマについて本格的に取り組んだ文章を読んだことがない。江藤淳は、ヒロシマについて、何か書いているのだろうか。ほとんどないのではないか。何故、ないのか。江藤淳は、日本人にとって、決定的な敗戦の地であり、屈辱の地であるヒロシマに固執する前に、《敗戦》という現実そのものに固執する。ヒロシマはその一部でしかない。江藤淳は、自分の不幸や弱点をさらけ出して、大騒ぎするニーチェ的な《 弱者の思考》が嫌いだった。だから、ヒロシマの話も嫌いだった。当然ではないか。そもそも、ヒロシマの《 原爆話 》とはなにか。単なる不幸や悲劇の《 自慢話 》じゃないか。私たちは、こんに苦労しました、こんなに悲惨な目にあいました・・・。こんなに・・・。私は、昔から、《不幸自慢》というものが大嫌いだった。今回の原爆ドームと原爆資料館を見世物にするヒロシマ・サミットも、世界に向けての《不幸自慢 》の一種だろう。さて、戦後の日本において、ヒロシマを持ち出し、原爆神話を強調し、ヒロシマの原爆神話を世界に向けて情報発信することは、《日本の敗戦》という現実から目をそらすことであり、日本人の《戦争責任》から目をそらすことだ。日本は、どこで失敗したのか、あるいはどこから、どこまで、成功したのか。