⬛️江藤淳『戦後と私』を読む(2).
江藤淳は『戦後と私』 で、《 故郷 》や《父》や《家》について、語りはじめている。《 故郷 》や《 父》や《 家》・・・。もっとも江藤淳に相応しくない事柄のように見える。特に、自分の《 故郷 》や《 父》や《 家》・・・。それまで、江藤淳が書いてきた「夏目漱石」も「小林秀雄」も、ともに《 東京生まれ 》で、《 故郷 》に縁のない文学者だった。小林秀雄には『故郷を失った文学』というエッセイさえある。もちろん江藤淳自身も《 東京生まれ 》である。江藤淳の批評的基準では、《 故郷 》や《 父》や《 家》・・・を安易に語りたがる《田舎者 》の文学は、つまり《地方出身者 》の甘ったれた感傷的な文学は、否定すべき文学だった。しかし、その江藤淳が、自分の《父 》について、感傷的に語り始めている。『 戦後と私』の冒頭は、こうなっている。
《このあいだ久しぶりで父からもらった葉書に、二十数年ぶりで、コースに出たら少しも当たらなかった、と書いてあった。 》
この当時、ゴルフというものが、一般庶民の間で、どれほど普及していたものか、知る由もないが、おそらくx、江藤淳が、父を語るのにゴルフの話から書き始めたことには、それなりの意図があったと覆われる。