■江藤淳の『 前後と私』を読む。
江藤淳は、帰国後、アメリカ嫌いになり、《反米愛国主義 》的な言動をするようになったと思われているが、そうではない。江藤淳が、帰国後、まず始めたのは、自分を問い直すという作業だった。『アメリカと私』を筆頭に、『 日本文学と私』、あるいは『 文学と私』『 戦後と私』『 場所と私』などで、執拗に《私 》にこだわり、《 私とは何か 》を問いはじめる。実は、私が、江藤淳や大江健三郎を、同時代の文学者として、雑誌や新聞などに発表される文章を、自覚的に読みはじめるのは、この頃からである。それまでは、過去の文学史上の作家や評論家として読んでいた。たとえば、大江健三郎の初期小説や江藤淳の『夏目漱石』論や『小林秀雄』論などを、すでに過去に書かれた文学史上の作品として読んでいた。そもそも、ヒロシマにこだわることは、《 日本の敗戦》という現実から目をそらすことだ。《日本の戦争責任》から眼をそらすことだ。