山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

哲学者=文芸評論家=山崎行太郎(yamazakikoutarou)の公式ブログです。山崎行太郎 ●哲学者、文藝評論家。●慶應義塾大学哲学科卒、同大学院修了。●東工大、埼玉大学教員を経て現職。●「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認めらlれ、文壇や論壇へ進出。●著書『 小林秀雄とベルグソン』『 小説三島由紀夫事件』『 保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』・・・●(緊急連絡) 090-6007-0726。 yama31517@yahoo.co.jp

■江藤淳と西尾幹二の「差異」について(2) 西尾幹二が、三島由紀夫に関する話題で、江藤淳を辛辣に批判した文章を読んだことがある。今、手元にないので、細かいことは覚えていないが、江藤淳と小林秀雄が、三島由紀夫の自決をめぐって衝突した「対談」をめぐるものだった。江藤淳が、三島由紀夫の死を、「あれは老年が来たということでしょう」とか「あれは病気でしょう」と批判的に言及したのに対して、小林秀雄が激怒し、「あんたは、日本の歴史を病気だというのか」と反論し、一瞬とはいえ、激しく火花を散らした「対談」だった。両者が立ち

江藤淳西尾幹二の「差異」について(2)
西尾幹二が、三島由紀夫に関する話題で、江藤淳を辛辣に批判した文章を読んだことがある。今、手元にないので、細かいことは覚えていないが、江藤淳小林秀雄が、三島由紀夫の自決をめぐって衝突した「対談」をめぐるものだった。江藤淳が、三島由紀夫の死を、「あれは老年が来たということでしょう」とか「あれは病気でしょう」と批判的に言及したのに対して、小林秀雄が激怒し、「あんたは、日本の歴史を病気だというのか」と反論し、一瞬とはいえ、激しく火花を散らした「対談」だった。両者が立ち上がり、日本刀を抜いて、真剣勝負に出たような、きわどい「対談」だった。私は、江藤淳の対談も 、小林秀雄の対談も、ほとんど読んでいるつもりだが、こんな激しい対談は、読んだことがない。私は、この「対談」に関しては、私なりの解釈と判断をしている。一流の批評家同士が、真正面から、本気でぶつかった「対談」だったというのが私の解釈と評価だ。私は、どちらが正しいか、どちらが間違っているか 、という位相の問題とは思わなかった。ところが、三島由紀夫の衝撃的な「死」に圧倒された多くの三島由紀夫ファンや三島由紀夫信者 、三島由紀夫エピゴーネンたちは、この対談に飛びつき、小林秀雄が「正しい」、江藤淳は「間違っている」という単純素朴な二元論に依拠して、「江藤淳批判(罵倒)」を繰り返すようになった。もちろ批判も罵倒も自由である。どんどんやるべきだ。西尾幹二の「江藤淳批判」も、その一つだった。しかも、多くは江藤淳没後になされた「江藤淳批判」であった。批判、罵倒するなら、江藤淳がまだ生きているうちにしろよ、と思ったものだが、二流、三流の評論家や物書きたちは、いつも、死後にしかやらない。したがって、江藤淳を批判、罵倒し、小林秀雄三島由紀夫を、どんなに強く擁護しようとも、擁護したことにはならない。言うまでもなく、 小林秀雄三島由紀夫をいくら擁護したところで、小林秀雄三島由紀夫の真意を正確に理解したことにはならない。小林秀雄三島由紀夫は、そういうゴマスリやお世辞を、厳しく拒絶するだろう。むしろ、江藤淳こそ、三島由紀夫の「死」に激しく衝撃を受け、その存在を賭けて、ホンネをさらけ出していたのだ。三島由紀夫の死という現実に向き合っていたのだ。それが分からない連中は、言葉の上面のレベルで、どちらが正しいか 、どちらが間違っているか、というような浅薄な議論を繰り返しているに過ぎない。そこに、江藤淳西尾幹二との「差異」は、出ている。